東北寺は渋谷区広尾にある臨済宗の寺院。
至道無難という僧が麻布に草庵を営み、
後に米沢藩2代上杉定勝の側室生善院が、
中興開基して現在地に移転し、
寺号を東北寺に改めたとされています。
「東北寺」。
山門を含めた建物はどれも新しく、
非常に綺麗なお寺です。
「庫裡」。
東北寺の建物は平成13年の新築。
伝統的な技法で建てられているようで、
新しくも赴きがあります。
一時期RC造が流行ってましたが、
仏教寺院はやはり木造ですね。
この東北寺の墓地に、
佐土原島津家の墓所があります。
「島津家墓所」。
佐土原島津家は東京移住後、
この東北寺を菩提寺としたようで、
本堂裏手の高地に墓所が置かれています。
「従二位勲二等島津忠寛之墓(左)」、
「島津啓次郎之墓(右)」。
佐土原藩11代藩主島津忠寛と、
その三男島津啓次郎の墓。
11代忠寛は10代島津忠徹の三男で、
父の死去に伴い家督を相続し、
幕末の佐土原藩で財政改革を行い、
ある程度の成功を収めています。
宗家の薩摩藩と行動を共にし、
戊辰戦争に藩兵を派遣。
版籍奉還で藩知事に就任し、
廃藩置県で東京に移住しており、
明治29年に死去しました。
三男啓次郎は幼少より俊才だったとされ、
鹿児島や東京に遊学して学び、
師である勝海舟の勧めて米国に留学。
文学や数学等を学んで帰国すると、
佐土原に帰って学校を設立します。
しかし間もなく西南戦争が勃発し、
立ち上げたばかりの学校を休校させ、
佐土原の同志200余名と薩軍に合流。
熊本各地を佐土原隊と共に戦いますが、
戦況は不利に傾いた為に単身上京し、
事態打開に努めますが上手くいかず、
再度薩軍に合流しました。
その後も戦い続けた末に城山に入り、
西郷隆盛らと共に戦死しました。
「従二位勲三等伯爵島津忠亮之墓」。
12代当主島津忠亮の墓。
11代忠寛の長男として生まれ、
明治2年に米国へ留学。
父忠寛の功績で子爵から伯爵に陞爵され、
後に貴族院伯爵議員になっています。
上記の啓次郎や大村純雄(次男)の兄。
この東北寺には中興開基の生善院や、
吉良上野介の正室富子の墓等、
上杉家ゆかりのお墓もあります。
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