福岡県福岡市 筥崎宮

筥崎宮筑前国一宮
延喜21年(921)に八幡神の託宣で、
穂波郡の大分宮玄界灘沿岸の地に遷座し、
延長元年(923)に現在地に移されました。
祭神は応神天皇神功皇后玉依姫命


一之鳥居」。
黒田長政によりに建立されたもので、
石材は鷹島の阿翁石とのこと。
この場所で唐津街道と交差しており、
箱崎宿の入口にもなっています。


一之鳥居より博多湾まで伸びる参道。
約850mもあるようですが、
今回は歩いていません。

鳥居をくぐると広い境内となり、
その先に楼門及び拝殿本殿が続きます。

楼門」。
小早川隆景によって建立された楼門。
[敵國降伏]の扁額が物騒ですが、
これは武力で降伏させる覇道ではなく、
自ずから靡いて降伏させる王道とのこと。
亀山上皇が奉納した御宸筆を、
模写拡大したものであるという。
広瀬淡窓は筥崎宮を参拝した際、
[筑前城下作]の漢詩を作り、
この楼門を伏敵門と表現し、
神功皇后の恩沢を讃えています。

一般参拝は楼門のまで。
この向こうに拝殿及び本殿があり、
数度の焼失と再建が繰り返されますが、
天文15年(1546)に大内義隆が再建し、
これが現在に至っているようです。


御神木 筥松」。
神功皇后が応神天皇を出産した際、
その御胞衣を箱に納めてここに埋め、
目印として植えられた松とのこと。
朱の玉垣で囲まれています。


木造亀山上皇御神像(銅像原形)」。
近代彫刻家山崎朝雲による木彫像で、
東公園の銅像原型として制作されたもの。
亀山上皇は元寇の際の治天の君で、
子の後宇多天皇と共に自ら伊勢神宮や、
熊野三山に祈願したという。
筥崎宮は文永の役で被害を受けており、
亀山上皇によって再建に至りますが、
その際に上記の[敵国降伏]の御宸筆を、
筥崎宮に奉納しています。

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 元軍の刀剣とされるものが出土。
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