「好生堂之跡」。
玉木病院という総合病院の玄関敷地内に、
好生堂の跡碑が残されています。
長州藩は医学研究施設医学所(医学館)を設立。
蘭医青木研蔵が長崎で「牛痘接種法」を習得し、
帰藩した後に医学館で種痘が開始されています。
医学所は明倫館外校となって済生堂と改められ、
まもなく済生堂を好生館と改称。
さらに好生堂となりました。
文久元年に商人宗像家の所有地を、
藩が買い上げて現在地に移転。
村田蔵六(大村益次郎)も教授していたという。
攘夷戦、内訌戦、幕長戦争の負傷者や、
羅災者達の診察治療に貢献し、
慶応元年に藩庁が山口に移ると、
好生堂も山口に移り好生局と改称。
好生堂跡地には萩病院が設けられ、
維新後は新堀小学校となっています。
※後に新堀小学校は明倫小学校に合併。
現在ここにある玉木病院は、
好生堂教授烏田良岱の門下生玉木英三が設立。
はじめは別の場所にありましたが、
昭和49年に好生堂跡に移転しています。
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好生堂は明倫館の外校。