萩市 好生堂之跡

玉木病院という総合病院の玄関敷地内に碑が残されていますが、
天保11年に長州藩は医学研究施設として医学所(医学館)を設立。
嘉永2年、蘭医青木研蔵が長崎で「牛痘接種法」を習得し、
帰藩した後に医学館で種痘が開始されています。
同年、明倫館の外校となって医学館は済生堂と改められ、
まもなく済生堂を好生館と改め、さらに好生堂と改称しました。

文久元年、商人宗像家の所有地を藩が買い上げて現在地に移転。
時には村田蔵六(大村益次郎)も教授していたという。
攘夷戦内訌戦幕長戦争の負傷者や羅災者達の診察治療に貢献し、
慶応元年に藩庁が山口に移ると、好生堂も山口に移り好生局と改称。
好生堂跡地には萩病院が設けられ、維新後は新堀小学校となり、
明治18年に新堀小学校は明倫小学校に合併されました。

現在の玉木病院は、好生堂の教授であった烏田良岱の門下生玉木英三が設立。
昭和49年に好生堂跡に移転しています。

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 好生堂は明倫館の外校。

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