長州藩の藩校といえば明倫館ですが、
幕末に萩から山口に藩庁が移転されるに伴い、
藩校である明倫館も山口に置かれました。
もちろん萩の明倫館もそのまま置かれたままで、
萩と山口に両立するカタチになります。
山口明倫館は、郷校「山口講習堂」を、
藩庁移転に伴って改称したもので、
文学および兵学を藩士子弟に教えました。
「周防明倫館兵学寮跡」。
碑は一の坂川の西側のほとりにあります。
周防明倫館となっていますが、
山口は周防国であり萩は長門国であるから。
周防明倫館の呼称で間違いではありませんが、
一般的に山口明倫館と呼称されています。
ここは歩兵学・騎馬学・砲兵学を教えた兵学寮跡。
通称として三兵塾と呼ばれました。
学舎が整うまで普門寺の観音堂で講義が行われたようで、
大村益次郎が決戦に備えて士官への教育を行っています。
元々は長州藩士上田鳳陽の開いた私塾山口講堂で、
後に「山口講習堂」に改称。
はじめ儒学・漢学などを教えていましたが、
兵学も教えるようになり、藩に認められて藩営の郷校となりました。
山口明倫館は山口大学の源流とされ、
上田鳳陽は山口大学建学の祖となっています。
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