黄波戸は古くからの漁村で、
江戸初期は日置村に属していたようで、
主に鯖や鰯の漁を生業としていたという。
「黄波戸漁港」。
第二種に分類される中規模の漁港。
釣漁、定置網漁が主なようで、
登録漁船は66隻ですが、
その殆どが小型の漁船のようです。
「黄波戸集落」。
海岸沿いから山手方向に住宅が密集し、
漁村らしい細い路地が展開しています。
古い家屋も結構残っており、
下目板張りの住宅の他にも、
漆喰塗りの古い商家跡もありました。
江戸時代の深川湾には鯨がいましたが、
近隣の浦との衝突を避ける為か、
享保年間より鯨漁は行われておらず、
再開は明治13年になってから。
その代わりに廻船業が行われていたようで、
商業港の機能も持っていたとされ、
漆喰塗りの商家はその名残でしょう。
嘉永2年7月7日。
吉田松陰は北浦巡視で黄波戸に上陸。
辺りを視察した様ですが、
土地が狭く野波瀬と同じで、
見るに足るものなしと評価しました。
但しこれは砲台設置の為の評価ですので、
戸数は150軒と記載している事から、
家屋が密集していたのだと思われます。
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