廻浦紀略の道筋2
嘉永2年7月7日
①早朝、瀬戸崎役人山崎半左衛門が挨拶に訪れる。
山崎の案内で祇園社前台場、極楽寺後台場を巡視。
「和布刈通」に乗って、青海島西側の青海湖へ。
②青海湖の傍らに碇を下ろして上陸し、
高山の頂上にある狼煙場に上って周囲を眺め、
見島、相島、須佐の高山、石見の高島を望む。
再び「和布刈通」に乗って湊浦、境川を船上で眺めながら、
黄波戸へ。
③黄波戸に到着。上陸してあたりを見てまわる。
土地が狭く、見てまわるほどの事も無い。
「和布刈通」に乗って津黄へ。
④津黄に到着。
ここも大変狭い土地で、村長に訪ねると漁農共に不便で、
そのため大変寂れているとの事。
※この津黄には「龍宮の潮吹」と呼ばれる名所があります。
松陰も必ず見ているはずなのですが、
そのことについて触れられてはいません。
「和布刈通」に乗って川尻へ。立石を遠くに眺める。
この間逆潮のため、船がなかなか進まない。
⑤川尻に到着。上陸して宿泊。
嘉永2年7月8日
⑤宿を出て陸路で川尻岬へ。
宿の近くの河内社の境内は、砲台を設置に良さそうだ。
⑥川尻岬に到着。遠見番所を訪問して小休憩。
この川尻岬に砲台を設置するべきである。
そのまま陸路で大浦へ。
⑦大浦に到着。村の年寄に阿川、粟野、伊上の距離を聞くと、
年寄達はそれぞれ3里ほどであると言うが、
村の年寄たちが大体の距離を言ってるだけで、
ここから一番近いのは粟野であろう。
小休憩後、小舟に乗って平坊山のラントウ鼻台場を視る。
⑧小舟で久津浦に到着。二尊院下台場を巡視(記事はこちら) 。
小舟に乗って泊崎へ。
⑨泊崎に上陸。泊崎台場(泊台場)を巡視(記事はこちら) 。
そのまま油谷島を登り、羅漢山台場を巡視後、陸路で大浦へ。
⑩大浦に到着。御番所に寄ってから宿に帰って宿泊。
嘉永2年7月9日
⑪「和布刈通」で大浦を出発。
久津、久原、小田を船上で眺め、河原へ。
※「和布刈通」は一行と大浦で合流したと思われます。
⑫河原で勘場、寺院を検分。2つある寺院がどちらも狭く、
兵営を設置するには適さないと考える。
※勘場は先大津宰判の役所(記事はこちら)。
掛淵川を登って大願寺の人麻呂社が広く、
兵営に向いているが、その場合は斥候が必要であろう。
「和布刈通」で阿川に向かう。船上で伊上を眺める。
⑬阿川に到着。阿川には本浦、今浦があり、
阿川毛利家の所領で、大変なにぎわいのある場所。
一行が到着すると、阿川毛利家家臣北山十郎左衛門が出迎え、
隅屋旅館に宿泊する。
続く。
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