廻浦紀略の道筋5
嘉永2年7月15日
①早朝出発。
船で寝しまい目が醒めたのは、安岡まで船が進んでから。
安岡は湯玉よりも栄えており、粉壁が多く見える。
それまで通った土地の様子を船頭に訪ねると、
吉見から安岡に至る10里程は、
何もない海岸が続くとの事。
安岡から赤田村までは白い砂浜。
そこから海岸が険しくなっている。
船は六連島へ。
②六連島に到着。
台場はどこかと尋ね、
芋畑を抜けて御番所に案内される。
そこから伊崎を望むと、
出てくる船の悉く一に三ツ星、桐の紋章が付いている。
これらの船は有事の際、軍役に用いる印。
船を出して南風泊に向かう。
③南風泊に到着。船を繋いて小舟で竹ノ子島へ。
④上陸して、一ノ台、二ノ台、六ノ台を巡視(記事はこちら)。
六ノ台だけ石垣が築かれており、足軽の番所もあった。
⑤小舟で引島に上陸。獅子口台場を巡視。
「和布刈通」に乗るが潮が悪く進めない。
少し待ってから出発。
引島の外面を進み、前小島・江ノ浦、福浦を眺める。
右手に小倉を望む。
小倉は城下を固めて賊船を通らせなければ、
他を防備する必要はない。
田の首、岩柳島を経て亀山八幡(記事はこちら)まで行き、
船を返して竹崎へ。
⑥竹崎に到着。関屋松兵衛の宿に宿泊(記事はこちら)。
風呂に入ってから新地会所へ挨拶。
帰って宿で寝ていると、役人が挨拶に来た。
※風呂嫌いで知られる松陰ですが、
やはり藩の会所に行く時は、
綺麗にしたということでしょうか?
廻浦紀略の道筋6
嘉永2年7月16日
①小舟を出して福浦へ。
②福浦の金毘羅祠に登り、燈篭堂の台場を巡視。
台場はまだ築かれてていない。
松陰は燈篭台について仕組みや財源など尋ねる。
(福浦金毘羅本宮の記事はこちら)
福浦を出て田の首へ。
③田の首に到着。山床ノ鼻八幡宮上台場を巡視。
ここの台場もまた築かれていなかった。
田の首を出て岩柳島へ。
④岩柳島(厳流島)に到着(記事はこちら)。
佐々木巌流と宮本武蔵が戦い、
巌流が討たれたところで巌流の墓がある。
⑤船に乗って宿で昼食。
小舟で小瀬戸を通り、西山の番所へ。
⑥西山の番所には砲家山縣東馬と中村寮平が在勤。
武器庫が2棟あり、大砲を巡視して帰る。
⑦関屋松兵衛の宿に宿泊。
嘉永2年7月17日
⑧亀山台場、壇ノ浦台場を巡視。
火ノ山に燈堂が見え福浦のようである(記事はこちら)。
⑨門司の城山の麓に船を寄せて潮待ち。
昼食後、船を出すが潮が既に落ちていて、
進まないので引き返して帰る。
続く。
■関連記事■
・吉田松陰2度目の江戸遊学①/②/③/④/⑤/⑥
育となった松陰は江戸に向かう。
・吉田松陰の九州遊学①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨
松陰は平戸の葉山左内に教えを請う為、九州を遊旅しています。
・吉田松陰の東北遊学①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨/⑩
宮部鼎蔵、江帾五郎と共に東北に遊学しました。
・吉田松陰の須佐巡見
北浦巡視前に萩以北を巡視しています。