続き。
①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永2年7月13日
①早朝より浦の漁舟で出航。
幅7尺、長さ3丈の丈夫な造りの船で、
この船は対馬まで行けるという。
戦時に徴用できそうである。
古城山、矢倉山の台場を視る。
途中の金子島で貝石を拾い角島に向かう。
②角島に到着。
※松陰は角島を重要な拠点と位置付け、
戦術的提案を記しています。
「荒れた場合は援軍を派遣できないので、
あらかじめ厳重な備えが必要。
肥中側は2門の砲台を置くだけで良いが、
外海には移動式の大砲を10門備え、
臨機応変に対応できるようにする。
常駐兵を5~6名置き、
島民に銃砲を習得させるべき」
舟を返して涌浦に向かう。
③涌浦に到着。
下関市豊北町 和久浦
浦老中野謙蔵宅を訪問し昼食。
一町田山(赤葉山)に砲を設置したい。
中野宅を出て陸路。
④岡林で鬼の松を見物。
下関市豊北町 土井ヶ浜の鬼の松
元寇を皆殺しにした時の記念との事。
⑤神功皇后の祠に拝観。
下関市豊北町神田 神功皇后神社
古い刀剣を見る。
近ごろ土居ヶ浜から出土したとの事。
※神功皇后神社の事で元寇撃退に感謝し、
伏見天皇が造らせたもの。
古い刀剣は神社で見る事ができます。
⑥神田の遠見番所に上り、
岬に出て台場狼煙場を巡視。
既に日は落ちたので漁舟に乗り、
涌浦に向かう。
この日「和布刈通」は阿川から、
特牛港へ回航。
⑦涌浦に到着。中野謙蔵宅で宿泊
廻浦紀略の行程4
嘉永2年7月14日
⑧未明に宿を出て特牛から出航。
神田岬の足元を廻るが、
海岸線は険しく上陸できない。
陸地沿いを進み矢玉浦を視る。
下関市豊北町 矢玉浦
この辺りは浅いので大船は停泊できない。
敵が来ても小舟を使って上陸する他はない。
矢玉、津波敷、二見、鯖釣山に至り、
鯖釣山の麓を廻って湯玉に出る。
湯玉から小串までは絶壁が険しくて、
上陸は困難。
本浦、今浦を遠くに望み、
厚島の内側を通り青井之鼻台場、
泊ヶ鼻台場、甲山台場を視る。
下関市豊浦町 泊ヶ鼻台場跡
そこから蓋井島へ。
⑨蓋井島に到着。
御番所役今永大五郎と、
里長松本五郎左衛門が出迎え、
案内で金毘羅山台場に登り辺りを眺める。
台場は非常に高くて海に面している。
石組はまだ完成しておらず、
石が二つ置いているだけであった。
出航して吉母に上陸しようとしたが、
船頭が言うには吉母へ向かうには逆潮で、
吉見に向かう方が良いというので、
吉見に向かう。
大谷頭、鬼ヶ岳、吉母浦を遠く眺める。
⑩暗くなって吉見浦に到着。
下関市吉見 吉見浦
ここで宿泊する。
廻浦紀略の行程5
続く。
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