下関市豊北町 矢玉浦

矢玉浦は古くは大物ノ浦と称しましたが、
蒙古襲来の際に浦の者がを献上し、
それ以降は「矢玉」と呼ばれたという。
それ程大きくない漁村でしたが、
江戸時代中期以降より海運業が盛んに行われ、
赤間関街道北浦道筋の宿場にもなって、
幕末期の戸数は300戸を数え、
この小さな浦は大盛況となりました。


矢玉浦」。
現在は矢玉漁港として整備されおり、
小さな船での沿岸漁業が操業されています。
かつては遊里もあったようで、
九州の者が出入りして刃傷に及んだともされ、
浜は恋路浜とも称されたという。


矢玉川河口」。
街道は矢玉川を遡って内陸へ続き、
堂山を迂回して土井ヶ浜に向かいます。


矢玉の街並み」。
通りから路地に入ると民家が所せましと並び、
驚くような密集した街並みが現れます。
人一人通れる程度の路地がめぐらされており、
古い家屋も多く旅館だったらしい建物も多数。
街並みを探検するだけでも面白い。


西慶寺」。
浄土真宗本願寺派の寺院。
吉田松陰は嘉永2年7月11日、
二見浦を経て矢玉浦に到着。
この西慶寺で昼食を取っています。
吉田家の菩提寺泉福寺は真宗本願寺派なので、
何らかの関係があったのかもしれませんね。

■赤間関街道/萩往還の宿場町

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