下関市彦島 福浦

福浦北前船寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。

現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。

福浦湾周辺。赤丸の辺りが福浦本町。
湾の奥側の2~3丁目や角倉町塩浜町は、
かつては塩田であったようですが、
現在は殆どが宅地となっています。
江戸時代に福浦と呼ばれた場所は、
福浦本町と通称される1丁目ですが、
近代は主要道路の通る2~3丁目が発展し、
彦島の中心的な場所となりました。

その分1丁目は昔の雰囲気が残っています。

福浦金刀比羅宮」。
吉田松陰も登った300段近い石段ですが、
※松陰が登った頃は160余段だった。
わざわざ登って参拝しなくても、
宮司がわざわざ船まで出向いて、
海上安全の祈祷をしてくれるので、
それが評判となって寄港する船が増えて、
福浦は大変繁盛したらしい。

神社下より旧道を散策。

狭い一本道が真っ直ぐ伸びており、
その両脇に住宅が並んでいます。
船員が上陸して宿泊できる旅籠や、
船具、備品、食料を調達できる商店
そして遊郭もあったようですが、
現在はすべて住宅となっています。


金刀比羅宮 裏参道入口」。
途中にある金刀比羅宮への裏参道の入口。
日本一ともされる急石段ではなく、
こちらの参道からも参拝が出来ます。


女優 木暮実千代生誕の地」碑。
昭和の大女優木暮実千代の生家跡。
本名は和田つまというようで、
大正7年にここで生まれて、
17歳まで福浦で暮らしていたという。
実家の和田家元幕臣であったようで、
父や祖父等からこれを聞かされていた為か、
NHKのインタビューで、
下関出身でしたね」と問われた際、
いいえ私は東京です」と答えたという。
勿論ふるさとは福浦と認識していたようで、
撮影で行ったリオデジャネイロより、
私のふるさと福浦のほうが美しいと、
死ぬまで言い続けたようです。
ちなみにロンブー敦も福浦本町の出身。
ジャンルは違えど全国的な芸能人を、
2人も輩出しているのは凄いですね。


道は四ッ辻に至ります。
山側への道は本村江ノ浦に至る道。
この辺りが福浦の中心だったようです。

更に西側の道を進む。

こちらは古い家屋も残っています。
旅籠だったのか、遊郭だったのか、
そんな感じの建物がちらほら。
この先で旧道は突き当りで途切れており、
2~3丁目には新道しか繋がっていません。

それ程古い家屋は残っていませんでしたが、
当時の雰囲気は何となく感じられます。
家々一軒ずつ確かめた訳ではありませんが、
空き家は少ない模様。
商店も殆ど無い集落なのですが、
何故か廃れた感じは全くありません。

幕末のエピソードとしては、
上記した吉田松陰の金刀比羅宮訪問の他、
五卿が長州から大宰府に移転する際、
赤間関外浜より船に乗った五卿一行は、
すぐに九州に渡らずに福浦湾に入港。
一泊した後に黒崎に上陸しています。
五卿らは船中泊したとされており、
風待ち、潮待ちの入港だったのでしょう。


金刀比羅宮石段途中から望む福浦湾。
埋め立てられてはいますが、
奥深く入り込んだ入江は天然の良港ですが、
現在は小型漁船が碇泊している程度です。

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