唐国9代皇帝玄宗は開元の治と呼ばれる善政で、
輝かしい繁栄の時代を作り出しましたが、
息子の妃を見初めてこれを奪ったことから、
国を傾けることになってしまいます。
その妃というのが楊貴妃で、
中国四大美人や世界三大美人とされる女性。
玄宗は楊貴妃を寵愛しすぎて政治を疎かにし、
楊貴妃の親族を高い役職に就けました。
また楊貴妃の従兄楊国忠が実権を握った為、
これに反発した安禄山が范陽で挙兵。
安禄山の軍は次々と唐軍を破り、
玄宗、楊国忠、楊貴妃は蜀へ逃れます。
その道中で楊国忠は将士達によって殺害され、
親族もその悉くが殺されました。
さらに将士達は楊貴妃の死も求めた為、
仕方なく玄宗は楊貴妃に自殺を命じ、
楊貴妃は縊死させられたとされています。
これが安史の乱と楊貴妃の概略なのですが、
楊貴妃はどういうわけか難を逃れ、
船で日本に渡ったという伝説があります。
向津具半島の二尊院に伝わる古文書に、
「唐土玄宗皇帝の愛妃楊貴妃なるもの、
空艫船にて当村唐渡口という地へ漂着。
まもなく死去したまいぬれば、
里人相寄、当寺院境内に埋葬」
と書かれているらしい。
その向津具半島の二尊院には、
楊貴妃の墓と伝わる五輪塔があります。
油谷湾向津具半島周辺(二尊院の場所)
ここを訪れたのはその楊貴妃ではなく、
吉田松陰が視察した二尊院下台場跡が目的。
二尊院参道の石段。
二尊院下台場というからには、
二尊院の下にあったのでしょうが、
この辺りには民家が立ち並んでいますので、
その遺構は全く残っていないようです。
この時点で今回の目的は終了なのですが、
せっかくなので楊貴妃ゆかりの寺を参拝。
「二尊院本堂と楊貴妃像」。
中国陝西省興平市馬嵬にある楊貴妃像と、
同じ大きさだという大理石の楊貴妃像。
像の高さは3.8mで、
楊貴妃の享年38歳にちなんでいるという。
境内は中華風の東屋やトイレがあります。
周りは普通の漁村なんですが、
この寺だけ中国の様でした。
「楊貴妃の墓」。
これが楊貴妃の墓と伝えられる五輪塔。
本当に楊貴妃かどうかはわかりませんが、
船で漂着した楊貴妃を名乗る女性が、
ここに葬られたというのは、
しっかりと寺の記録に残っているので、
間違いないのでしょう。
この場所は油谷湾内を向いていますので、
二尊院の下に造られた台場は、
油谷湾に入った敵船への攻撃が目的。
結局は藩内に無数に造られた台場と同じく、
この台場は一度も火を噴く事もなく、
いつの間にか解体されいます。
帰りにホテル楊貴館の日帰り温泉へ。
油谷湾温泉は美人の湯と呼ばれる湯で、
温泉総選挙2017のうる肌部門で、
第1位を獲得しているようで、
入浴後の帰りの社内で自分の肌を触ると、
ツルツルになっていました。
44歳のオッサンの肌をツルツルにする湯。
かなり凄いです。
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