①/②
つづき。
⑬本庄越後守(→米沢藩士)
上杉家の鬼神とも称された豪傑で、
多くの戦いで戦功を挙げた本荘繁長。
何度も上杉家に反旗を翻しますが、
その度に許されて帰参しています。
上杉家が会津に転封されると、
福島城代として1万石を与えられており、
伊達政宗の猛攻を撃退していますが、
西軍の敗北によって上杉家は大減封となり、
繁長も減封される事となりました。
その後は上杉家の再興に尽力し、
子孫は米沢藩分領家1600石となっています。
⑭長尾備中守(米沢藩士?)
長尾姓で備中守に該当する人物はおらず、
備中守名乗りでそれらしいのは岩井信能か?
父岩井満長が武田家の侵攻で信濃を追われ、
越後で上杉家に仕えたようで、
御館の乱では上杉景勝に味方しており、
会津転封以降は大石綱元や安田能元と共に、
会津三奉行と呼ばれました。
本荘繁長と共に伊達政宗を撃退しており、
子孫は米沢藩士として続いています・
⑮本庄美作守(不明)
謙信の器量を見抜いて早くから補佐し、
絶大な信頼を寄せられた本庄実乃。
後に家中で上野家成と共闘し、
大熊朝秀、下平吉長派と対立しており、
これに嫌気がさした謙信は出奔。
家臣団は二心を抱かず臣従すると誓い、
謙信を呼び戻しています。
実乃の子本庄秀綱は御館の乱で、
上杉景虎に味方してしまい、
敗れた後は上杉家から離れました。
⑰赤坊主西方院(不明)
この赤坊主は越後で伝承される妖怪で、
林泉寺の釣鐘を奪って数々の悪行を行い、
鬼児島彌太郎に退治されたと伝わります。
この妖怪が何故謙信の家臣となっているのか?
とにかく妖怪なので子孫はいません。
⑱銕上野介(→米沢藩士)
長尾政景の家臣であった黒金景信。
政景死後に謙信の側近としてなり、
上田衆を率いて精鋭を作り上げています。
子孫は鉄姓に改姓して藩士として続きました。
⑲鬼児島彌太郎(不明)
無双の豪傑と称された児島弥太郎貞興。
実在が疑われており子孫も不明です。
⑳山村右京亮(不明)
謙信の旗本山村右京亮重信。
次代山村藤三は御館の乱で上杉景虎に与し、
その後の消息はわからないようです。
㉑荒川伊豆守(不明)
第四次川中島の戦いで旗本先陣を務め、
武田軍の本陣に単騎で攻め寄せ、
武田信玄に傷を負わせたと伝わっており、
これが武田家内で謙信であったと噂され、
現在知られる伝説となったとも。
その後に文献に登場する事はなく、
討死若しくは行方不明となったようです。
㉒高松内膳(不明)
高松内膳に該当する人物は不明。
㉒新発田因幡守(断絶)
謙信の許で数々の戦功を挙げますが、
景勝の代で冷遇された為に反乱。
6年に亘り景勝を苦しめましたが、
最後は新発田城を攻められて自害しました。
㉓渡邊越中守(不明)
上杉家中に該当する人物は見当たらず。
㉔直江山城守(断絶)
上杉家の執政として活躍した直江兼続。
大河の主役にもなって知られましたが、
嫡男直江景明の病死や養子の出奔で断絶。
大減封された上杉家の窮地を救う為、
兼続が意図的に断絶させたともされます。
架空、不明な人物も多く、
歌川芳員の上杉廿四将を選んだのが失敗?
家臣最高位の高家衆や分領家が漏れまくり。
その割に妖怪や伝説上の人物が入っており、
別のを使えば良かったと後悔しています。
①/②
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