上杉謙信家臣末裔の幕末②

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つづき。



本庄越後守(→米沢藩士)
上杉家の鬼神とも称された豪傑で、
多くの戦いで戦功を挙げた本荘繁長
何度も上杉家に反旗を翻しますが、
その度に許されて帰参しています。
上杉家が会津に転封されると、
福島城代として1万石を与えられており、
伊達政宗の猛攻を撃退していますが、
西軍の敗北によって上杉家は大減封となり、
繁長も減封される事となりました。
その後は上杉家の再興に尽力し、
子孫は米沢藩分領家1600石となっています。

長尾備中守(米沢藩士?)
長尾姓で備中守に該当する人物はおらず、
備中守名乗りでそれらしいのは岩井信能か?
岩井満長武田家の侵攻で信濃を追われ、
越後で上杉家に仕えたようで、
御館の乱では上杉景勝に味方しており、
会津転封以降は大石綱元安田能元と共に、
会津三奉行と呼ばれました。
本荘繁長と共に伊達政宗を撃退しており、
子孫は米沢藩士として続いています・

本庄美作守(不明)
謙信の器量を見抜いて早くから補佐し、
絶大な信頼を寄せられた本庄実乃
後に家中で上野家成と共闘し、
大熊朝秀下平吉長派と対立しており、
これに嫌気がさした謙信は出奔。
家臣団は二心を抱かず臣従すると誓い、
謙信を呼び戻しています。
実乃の子本庄秀綱は御館の乱で、
上杉景虎に味方してしまい、
敗れた後は上杉家から離れました。

赤坊主西方院(不明)
この赤坊主は越後で伝承される妖怪で、
林泉寺釣鐘を奪って数々の悪行を行い、
鬼児島彌太郎に退治されたと伝わります。
この妖怪が何故謙信の家臣となっているのか?
とにかく妖怪なので子孫はいません。

銕上野介(→米沢藩士)
長尾政景の家臣であった黒金景信
政景死後に謙信の側近としてなり、
上田衆を率いて精鋭を作り上げています。
子孫は姓に改姓して藩士として続きました。

鬼児島彌太郎(不明)
無双の豪傑と称された児島弥太郎貞興
実在が疑われており子孫も不明です。

山村右京亮(不明)
謙信の旗本山村右京亮重信
次代山村藤三は御館の乱で上杉景虎に与し、
その後の消息はわからないようです。

荒川伊豆守(不明)
第四次川中島の戦いで旗本先陣を務め、
武田軍の本陣に単騎で攻め寄せ、
武田信玄に傷を負わせたと伝わっており、
これが武田家内で謙信であったと噂され、
現在知られる伝説となったとも。
その後に文献に登場する事はなく、
討死若しくは行方不明となったようです。

高松内膳(不明)
高松内膳に該当する人物は不明。

新発田因幡守(断絶)
謙信の許で数々の戦功を挙げますが、
景勝の代で冷遇された為に反乱。
6年に亘り景勝を苦しめましたが、
最後は新発田城を攻められて自害しました。

渡邊越中守(不明)
上杉家中に該当する人物は見当たらず。

直江山城守(断絶)
上杉家の執政として活躍した直江兼続
大河の主役にもなって知られましたが、
嫡男直江景明の病死や養子の出奔で断絶。
大減封された上杉家の窮地を救う為、
兼続が意図的に断絶させたともされます。

架空、不明な人物も多く、
歌川芳員上杉廿四将を選んだのが失敗?
家臣最高位の高家衆分領家が漏れまくり。
その割に妖怪や伝説上の人物が入っており、
別のを使えば良かったと後悔しています。

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