二条家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条家の庶流にあたる公家で、
九条道家の次男二条良実を祖とします。
良実が東二条院に居住した事から、
二条を称したとされており、
仁治3年(1242)に良実が関白となって以降、
五摂家のひとつとして続きました。
戦国時代の当主13代二条尹房は、
大内義隆により山口に招かれた際に、
陶晴賢の謀反に巻き込まれてしまい、
大寧寺の変で殺害されています。
山口県長門市 大寧寺
※他に尹房の次男二条良豊や、
権中納言持明院基規、
左大臣三条公頼も共に殺害された。
「二条邸跡」。
二条邸跡は現在の同志社女子大学の敷地内。
五摂家ながら築地之内の外側にあります。
幕末期の当主26代二条斉敬は、
徳川慶喜の従兄だった事もあり、
親幕派として公武合体政策を推進。
文久3年に関白となっていますが、
延臣二十二卿に罷免を要求される等、
復古派公卿より反撥を受けています。
天皇親政による摂関の廃止により、
一時参内を停止させられますが、
後に許されて麝香間祗候に就任。
明治4年に養子二条基弘に家督を譲り、
明治11年に死去しました。
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