奥の院墓地にある石川憲之の墓所。
憲之は伊勢亀山藩石川家4代当主で、
税所藩、伊勢亀山藩、淀藩の藩主でした。
石川家といえば徳川家康の片腕と称されつつ、
突如として出奔した石川数正が知られますが、
この石川家は数正の叔父石川家成の系譜。
※叔父とはいえ家成の方が年下。
三河石川家の宗家にあたり、
家成は「無二の忠臣」として称えられた人物で、
家康が「家」の偏諱を与えた人物です。
その長男石川康通が大垣藩5万石を立藩し、
3代石川忠総が日田藩、佐倉藩と移り、
膳所藩主となっていました。
「方圓院殿泰恵日周尊儀」。
伊勢亀山藩石川家4代当主石川憲之の墓。
「江戸焼死者追悼碑」に隣接しています。
憲之は4代石川忠総の長男石川廉勝の長男で、
父廉勝が忠総に先立って死去した為、
嫡孫として祖父の死去に伴い家督を継ぎ、
税所藩から伊勢亀山藩に転封しています。
明暦3年(1657)の大火で被災者救援を行い、
その功績で淀藩6万石に加増転封。
将軍徳川綱吉の学問の師匠も務めており、
55年の治世の後に隠居して、
宝永4年(1707)に死去しました。
隣の追悼碑は「明暦の大火」のものではなく、
江戸後期の「文政の大火(1829)」のものです。
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