養源寺は元和2年(1616)創建の臨済宗寺院。
「本堂」。
養源寺は老中稲葉正勝が開基し、
正勝の手習師匠だった秀嶽を開山に迎え、
湯島天神切通下に創建されました。
後に明暦3年(1657)の振袖火事で焼失し、
現在地に再建されています。
この養源寺墓地に安井息軒の墓があります。
「安井息軒先生碑銘」。
顕彰碑のような安井息軒の墓碑。
篆額は清国江蘇省按察使應寶時、
撰文は川田甕江、書丹は日下部鳴鶴、
鐫刻は谷中の石匠廣瀬群鶴とのこと。
息軒は飫肥藩儒者安井滄洲の次男に生まれ、
幼少の頃に疱瘡で片目となります。
父の影響を受けて学問を志し、
遊学して大坂で篠崎小竹、
昌平黌で古賀侗庵、松崎慊堂に師事。
文政10年(1827)に飫肥に帰郷し、
藩主伊東祐相の侍読に就任しており、
郷校明教堂、藩校振徳堂で助読に任ぜられ、
教鞭を振るうと共に藩政に参与しました。
天保8年に江戸出て増上寺の僧寮に入り、
翌年には私塾三計塾を設立。
文久2年には昌平黌の儒官に就任し、
元治元年には塙代官に任命されますが、
高齢の為に塙に赴く事なく免官されました。
維新後も教育に尽くしましたが、
明治9年に死去してます。
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