別府温泉は別府市内の温泉の総称ですが、
狭義には海岸沿いの温泉街を指し、
北浜温泉とも呼ばれました。
日向街道沿いにあった為に宿場となり、
湯治客も多かったようです。
別府市街周辺。緑の線が日向街道で、
青い線は安心院道。
青くぼかした辺りが別府宿跡。
南側から散策。
宿場の南端はわかりませんが、
今回は秋葉通りより北上してみます。
「別府秋葉神社」。
近江国の秋葉神社より勧請されたもので、
町民の尊崇をあつめていたという。
「別府宿跡(仲町)」。
蔵屋敷が並んでいたという仲町辺り。
別府の殆どは天領だったようで、
周辺の年貢や明礬が集められ、
別府湾から出荷されたと思われます。
「札の辻」。
流川4丁目交差点が札の辻。
かつては流川という川が流れていましたが、
現在は暗渠になっているとのこと。
たぶん小川だったと思われます。
「伊能忠敬測量史蹟」。
流川4丁目交差点角にある碑。
文化7年(1810)2月12日。
に伊能忠敬の測量隊は別府に訪れています。
街道を外れて流川通りを西へ。
「旅館若彦跡(ソルパセオ銀座入口辺り)」。
旅館若彦(若松屋)のあった辺り。
若彦は井上聞多が潜伏した旅館です。
おもしろいエピソードもあるので、
これについては次回の記事で。
因みにこの辺りはソー〇ランドが多い。
たぶん色町の名残なのでしょう。
街道筋に戻って北へ。
「西法寺」。
街道沿いにある真宗本願寺派の寺院。
別府本陣を務めていました。
宿場、湯治場として賑わっていましたが、
本陣として使用できる規模の建物は無く、
西法寺がこれに充てられたようです。
永正4年(1507)に開かれたとされ、
現本堂は寛政9年(1797)の建築。
西法寺を過ぎると居酒屋が増えてきます。
更に進むと駅前通りとなっており、
往時の宿場の面影は皆無の模様。
「延命地蔵尊」。
駅前通りを過ぎて少しいくとあるお堂。
別府湾沖合いの瓜生島と久米島が、
慶長年間の大地震で海に沈んでしまい、
島民千人弱が犠牲になったという。
これを供養する為に建立さたお堂で、
町民や旅人がお参りするようになり、
延命の御利益があるとされています。
「安心院道への追分」。
左折すると鉄輪温泉を経て安心院へ。
直進して北上すると日出に至ります。
■関連記事■
・大分県速見郡 日出宿跡
日向街道の宿場町。
・大分県別府市 鉄輪温泉
別府八湯のひとつ。