下関市赤間町 本行寺

本行寺は赤間町にある法華宗の寺院。
大本山本能寺12世日承上人が、
天文21年(1552)に種子島へ巡錫した帰途、
赤間関に立ち寄ったとされ、
これに随行していた日圓上人は、
日承上人の命で布教の為に留まり、
元亀2(1571)年に本行寺を創建しています。


本堂」。
攘夷戦の際は赤間関総奉行毛利元美が、
厚狭毛利家10代当主。
ここを本陣としています。

境内にある諸隊士の墓。

戦死之塚」。
中央の戦死之塚左側前列右より、
 井上収蔵墓飯田梅之丞墓
 山田鵬輔源成功墓重富秀之進墓
 武林沢郎義一墓大枝八郎義兼墓
 隅次郎秀光之墓關口彌太郎兼房墓
 村上小次郎源周徳之墓
戦死之塚右側前列右より、
 八幡隊 山下豊吉源信春
 八幡隊 中川源太郎隆重木原四郎正憲
 八幡隊 飯沼三十助元春
 頓證院了儀日聞居士山本宗之進義明墓
 森永光之進一正墓阿部宗兵衛吉光墓
 中村水穂墓
戦死之塚には以下の名もあります。
 北嶌保助山本泰蔵水津惣之助
 森重菊次郎藤田吉作福田直右衛門
 順海房福田弥太郎松江安右衛門
 森脇三右衛門町田道之助

戦死之塚に刻まれているのは、
四国連合艦隊との交戦での戦死者で、
左右の墓碑は小倉戦争での戦死者です。

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