教法寺は赤間町にある真宗本願寺派の寺院。
鎌倉期の元応年間(1319~1321)、
教法房浄信が海岸で木仏を見つけ、
これを安置する為に創建されました。
幕末の攘夷戦の際には先鋒隊の屯所となり、
奇兵隊とのイザコザから襲撃を受け、
隊士蔵田幾之進が殺害されています。
この報復に用人奈良屋源兵衛を拉致し、
境内で冷水を掛けて拷問。
その後に門外に放り出された為、
源兵衛は発熱して死亡しました。
この騒動の発端となった宮城彦輔は、
藩より死罪が申し付けられ、
教法寺の境内において切腹。
介錯は総督の高杉晋作が務めたという。
金子文輔の馬関攘夷従軍筆記⑨
「教法寺」。
教法寺は昭和20年の下関空襲により、
本堂や寺宝を焼失しています。
現在の本堂は昭和43年の再建で、
境内に往時の名残は残っていません。
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下関市赤間町 教法寺
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