法明院は平安時代創建の古刹で、
元は長徳寺という天台宗寺院でしたが、
後に荒廃して戦国期に九江滋淵が再興。
曹洞宗の寺院となっています。
「法明院」。
本堂は明和3年(1766)に再建ですが、
各所に相当の手が加えられているようで、
あまり古さは感じられません。
慶応2年の幕長戦争の際、
幕府から派遣された長谷川久三郎一行は 、
※長谷川家は寄合肝煎4700石。
津和野藩に滞在していましたが、
彼らは長州藩の要精により引き渡され、
杉孫七郎らによって山口へ護送。
始めは宮野村の庄屋徳万伊助邸か、
同村にあった龍花院に監禁したようですが、
そこは山口を見下ろす場所だった為、
不都合であると法明院に移しました。
長州藩はここに長谷川以下9名を拘禁し、
※軍目付:長谷川久三郎、
御徒目付:須藤鎧三郎、
小人目付:清水直次郎、
長谷川家家老:加治小弥太、
用人:鈴木鍵之助、
家臣:牧野孝助、鶴岡司、
高塚鋳次郎、樋口新吉
山口町奉行兼代官の井上光遠が警護。
※井上聞多の実兄。
警護の兵には手厚くするよう命じられ、
但し話をする事がないよう厳命されます。
五郎三郎もほぼ毎日ご機嫌伺いに訪れ、
医師も派遣されていたという。
彼らは結局約半月後に津和野藩に返還。
その際に木戸貫治が長谷川に面会し、
※木戸貫治=桂小五郎、木戸孝允。
藩の立場を記した書状を持たせており、
長谷川はこの書状を持って帰っています。
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長谷川一行が駐留した津和野の古刹。