俊龍寺の本堂裏にある柳澤家歴代墓所。
長州藩寄組柳澤家の初代当主柳沢元政は、
12代将軍足利義晴、13代足利義輝、
15代足利義昭に仕えた足利幕府の幕臣で、
義昭が織田信長に追放されると、
これに追従して鞆の浦に移転しています。
その後に義昭庇護を条件に毛利家に仕え、
後に毛利家が豊臣秀吉に臣従すると、
秀吉の直参家臣に取り立てられ、
1万石の所領を与えられるに至りました。
秀吉の死去後は毛利家家臣に復帰。
子孫は寄組士として続いています。
「寄組柳澤家墓所」。
2段になった墓所には一族の墓が並び、
壮観な雰囲気を醸し出しています。
前列中央の一番高い五輪塔が元政の墓で、
当主の墓碑には豊臣姓が刻まれており、
元政が秀吉から下賜されたものが、
子孫にも受け継がれていたようです。
戒名に関する資料が無い為、
歴代当主の墓の特定は出来ませんでした。
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