長年寺は鹿角市花輪にある曹洞宗の寺院。
中野家(花輪南部家)の香華院として創建し、
領地の転居に伴い寺地も移転しています。
加賀宗徳寺4世大陰慧全禅師は、
衆生済度の為に奥州九戸に至ると、
九戸家の帰依を受けて長興寺を開創。
天正19年(1591)の九戸の乱が発生し、
九戸家は滅亡していますが、
斬首された当主九戸政實の弟中野康實は、
兄の遺骸を長興寺に葬っており、
後に長興寺を所領郡山に移転させ、
長岩寺と改称させました。
その後に中野家が花輪に移ると、
長岩寺、長興寺の寺宝を移し長年寺を創建。
以後は中野家歴代当主や結縁の檀信等、
その菩提寺として隆盛しました。
「本堂」。
立派な本堂は改修されていますが、
創建当時の建物とのこと。
開創以降一度も火災にあっておらず、
文献や寺宝も数多く残っているらしい。
「花輪南部家墓所」。
本堂前にある花輪南部家の墓所。
中野家は10代南部康孝が南部姓を賜わり、
以降は花輪南部家として続いています。
ここにある墓は11代以降の当主。
「俊桀院仁岳宗義大居士(右)」、
「一沖院有鶴活聲大居士
智照院雲妙瑞禪大姉(中央)」、
「昭馨院敏學有康居士
鶴州院齋亮康保大居士
菱光院松操妙韻禪大姉(左)」。
13代当主南部康直の墓、
11代当主南部済愛夫妻の墓、
14代当主南部康保夫妻子の墓。
11代済愛は幕末期の当主ですが、
藩への報告不備で罰せられており、
天保12年から知行を召し上げられ、
花輪奉行所の管理下に置かれます。
その後の安政2年に放免され復権し、
戊辰戦争では大館城の戦いに出兵。
明治3年に隠居しており、
明治19年に死去しました。
12代は長男南部康疆が継ぎますが、
明治5年に東京で病死しており、
次男康直が13代当主に就任。
その康直も明治12年に死去してしまい、
四男の康保が14代となっています。
他の中野家当主の墓所は岩手県の長岩寺、
長徳寺、報恩寺にあるとのこと。
■関連記事■
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中野家の居館であった花輪館跡。
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盛岡藩南部宗家の居城跡。
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盛岡藩南部宗家の歴代墓所。