長年寺墓地にある戊辰之役戦死者の墓。
明治元年(1868)8月9日。
奥羽越列藩同盟に離反した久保田藩に対し、
その非を正す事を名目として、
盛岡藩兵は藩境を越えて久保田藩領に侵攻。
十二所、扇田を落とした盛岡藩は、
その勢いで大館城を落城させると、
破竹の勢いで久保田城に進軍。
しかし佐賀藩の援軍が到着した事により、
反撃されて藩境まで退却しています。
「戊辰之役戦死者之墓」。
盛岡藩の戦死者27名の墓所。
被葬者は以下のとおり。
立山熊太郎昌俊、佐々木六助綱盛、
川野次郎治、川口猪太郎義業、
村山廉治重明、奈良熊太正明、
久慈源次郎政行、江刺家力太政慶、
内田大蔵冨隆、東野万五郎政忠、
金田一吉太郎高茂、和井内捨蔵篤盛、
荒木田政次郎保定、川守田岩五郎政明、
上田五兵衛守道、高橋亀之助茂清、
荒木田務政清、村上權七政義、
小沼嘉右衛門親孝、工藤屋佐次郎、
高瀬屋仁太郎、加賀屋卯七、
川口屋子之助、金沢屋忠太、
成田屋與助、石鳥谷屋彌助、市助。
これらは大館周辺の戦いにおいて、
戦死及び戦病死した盛岡藩兵の墓です。
■関連記事■
・秋田県大館市 大館城跡
盛岡藩に占領された久保田藩の支城。
・秋田県鹿角市 恩徳寺/戊辰之役戦死者之墓
同じく戊辰之役戦死者の墓があります。