瀬田の唐橋は瀬田川に架かる橋。
瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で、
瀬田の唐橋は瀬田川に架かる唯一の橋でした。
「歌川広重 近江八景 勢田夕照」。
古くからの交通の要衝であり、
京都の防衛上で最も重要な場所でもあり、
古来より[唐橋を制す者は天下を制す]とされ、
壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱等、
多くの戦乱に巻き込まれた場所。
その為に何度も落されてはいますが、
その度に何度も架け直されています。
「瀬田の唐橋」。
現在は昭和54年竣工のRC製の橋ですが、
高欄には木造擬宝珠が配されており、
往年の唐橋のようなデザインとなっています。
最初の橋が架けられた年代は不明ですが、
近江大津宮遷都の時代とされており、
上記のように数々の戦地となりました。
本格的な架橋は織田信長であるとされており、
木村次郎左衛門と山岡景隆を架橋奉行とし、
若狭神宮寺山と近江朽木山の材木を取り寄せ、
天正3年(1575)に欄干を備えた橋が完成。
本能寺の変が起こると景隆は橋を自焼させ、
明智光秀勢の渡河を防いでおり、
光秀は仮橋を3日掛けて架けています。
その後に豊臣秀吉が瀬田の唐橋を再建し、
大小2本の橋を掛けたとされていますが、
江戸時代は再び1本の橋となったようで、
幕府は唐橋以外の橋を架ける事を禁じ、
膳所藩にこの橋の管理を命じました。
以後明治27年までに18回の架け替えが行われ、
大正時代にRC製の橋となって以降、
自動車の通れる道路橋に変化しています。
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