荷田春満は江戸中期の国学者で、
賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と共に、
国学の四大人のひとりと称されました。
墓所は在ノ山稲荷社祀官墓地。
「荷田羽倉大人之墓」。
国学者荷田春満の墓。
寛文9年(1669)に伏見稲荷の神官の子で、
妙法院宮尭延法親王に仕えた後、
勅使大炊御門経光に随伴して江戸へ下向。
春満はそのまま江戸に滞在し、
歌学や神道を教授して著名となります。
長岡藩牧野家に江戸在住のまま仕官し、
後に8代将軍徳川吉宗に招集され、
祐筆下田師古への和学相伝を拝命。
その後に帰郷しており、
度々吉宗の下問に応じてましたが、
享保13年(1729)以降はこれを辞し、
養子の荷田在満が対応しました。
元文元年(1736)に死去。
江戸で国学を教授した神田神社が、
[国学発祥の地]とされています。
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