現在の大丸百貨店の前身大丸呉服店は、
[大文字屋]という伏見の古着商に始まります。
下村彦右衛門正啓が父からこれを受け継ぎ、
伏見に店舗を開いて発展。
古着商から呉服も取り扱うようになり、
後に大坂心斎橋にも店舗を出し、
更に名古屋にも出店しました。
名護屋進出時に[大丸]と改称しており、
[先義後利]を経営理念として発展。
近代は百貨店として不動の地位を確立し、
高度成長期は三越と並び[西の横綱]と呼ばれ、
現在は松坂屋百貨店と経営統合しています。
この大丸の創業者一族の墓所が、
宝塔寺の墓地にあります。
「下村家墓所」。
宝塔寺墓地の南端にある下村家の墓所。
かなり広い墓域は数ブロックに分かれます。
ここに歴代当主が葬られていますが、
菩提寺は宝塔寺塔頭の圓妙院とのこと。
江戸期の当主は奥側にあります。
「下村正啓居士
祔 知常青木氏 墓」。
下村彦右衛門正啓夫妻の墓。
父の下村三郎兵衛兼誠は武士でしたが、
大坂の陣後に商人に転向しており、
正啓はその後を継いで行商を始め、
後に伏見に店舗を開きました。
その後は[先義後利]に務めて商売を成功させ、
大坂、名古屋、京都、江戸に出店。
毎年冬には貧困者に施しをしたり、
寺社に灯籠や手ぬぐいを寄付する等、
積極的に利益還元を行っています。
これは後の代にも続けられたようで、
大潮平八郎の乱の際に豪商が襲撃されるも、
[大丸は義商]として襲撃されなかったという。
幕末期の当主も見付けました。
「下村正濤居士
祔 知誠唐金氏 墓」。
8代当主下村正濤夫妻の墓。
嘉永5年に家督を相続しており、
慶応元年に隠居しました。
「下村正弘居士
祔 知得信女 墓」。
9代当主下村正弘夫妻の墓。
慶応元年に家督を相続し、
慶応4年12月に隠居しています。
幕末期の大丸といえば新選組のだんだら隊服。
新選組が大坂の鴻池家から200両を押し借り、
大丸呉服店で仕立てたとされています。
※平野屋五兵衛から100両借りたとも。
不思議に思うのはそんな押し借りする位なら、
大丸に無理やり仕立てさせればと思う。
それをしなかったのは義商だからかな??
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・京都府京都市 大丸呉服店跡
新選組が隊服を発注した大丸呉服店跡。