浅葱色のだんだら模様の新選組隊服。
仮名手本忠臣蔵の衣装を着想とし、
浅葱色は切腹の際に着用する裃の色で、
常に死を覚悟するという覚悟を表したもの。
芹沢鴨の発案であるとか、
土方歳三のデザインとか云われますが、
実際のところはよくわかりません。
これは大坂の鴻池家から二百両を押し借り、
この大丸呉服店で仕立てたようです。
※平野屋五兵衛から100両借りたとも。
「大丸呉服店跡」。
正確な位置や間取りは判りませんが、
御幸通と寺町通の間の松原通北側に。
幕末当時の大丸呉服店があったようです。
※現在の大丸京都店は河原町通。
大丸呉服店の創業は享保2年(1717)で、
伏見に下村彦右衛門正啓が古着屋を開き、
[大文字屋]と称した事に始まります。
僅かの間に大坂、名古屋、江戸に進出し、
正啓が一代で商いを巨大化させており、
以後は代々[先義後利]の経営理念の下で、
着実な商いを続けており、
明治期に百貨店形式の店舗となりました。
これが現在のJFRグループに繋がっています。
だんだらの隊服は当時からダサかったとか、
派手過ぎるとか云われていますが、
元々は正装で[ハレ]の際に着用するもので、
出動の際には使用していないでしょう。
そもそも京都出身でもない隊士らは、
派手な恰好は好むところではないか?
勅使を迎える奇兵隊士達
隊士ウケが悪かったからではなく、
着る機会が無かっただけでは?
自説ではありますがそのように思います。
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