新選組の屯所となった八木源之丞邸、
※記事はこちら。
そして前川荘司邸、南部亀次郎邸。
今回は前川邸、南部邸をみてみます。
「旧前川邸」。
新選組の屯所のひとつ前川荘司邸。
八木邸、南部邸は幹部の宿所でしたが、
前川邸は実務を行う場所でした。
古高俊太郎への拷問もここの土蔵で行われ、
山南敬助の切腹した部屋も残っています。
現在は公開されてはいませんが、
土日祝は玄関(当時の勝手口)が開き、
グッズ等が販売されて覗けるようですが、
訪問日は平日でした。
「南部亀次郎邸跡」。
同じく屯所となった南部亀次郎邸跡。
八木邸の南側に隣接していましたが、
現在は取り壊されています。
始め浪士組取扱鵜殿鳩翁が宿所とし、
その後は齋藤一らが滞在していたという。
他に中村小藤太邸、浜崎新三郎邸、
四手井友太郎邸、百姓の太郎宅等が、
宿所に充てられたという。
これらは坊城通と綾小路通に面しており、
召集には八木邸と前川邸のある十字路で、
拍子木を打ち鳴らす事を合図としました。
「新徳寺」。
南部邸跡の向かいは新徳寺。
浪士組の御目付、取締役、取調役の三役、
そして清河八郎が宿所としました。
清河はここの本堂で浪士ら全員を招集し、
尊皇攘夷の先鋒となる事を宣言。
江戸に戻って攘夷を行う事を提案し、
多くの浪士がこれに賛同します。
これに驚いた浪士組取扱鵜殿鳩翁は、
殿内義雄と家里次郎に残留者取纏を命じ、
清河に反して京に残った者達が、
壬生浪士組となり後に新選組となりました。
※殿内、家里は後に粛正されています。
「光縁寺」。
壬生より綾小路通を東に進んだ四条大宮に、
新選組隊士の墓所光縁寺がありますが、
訪問日は札が掛けられており、
「本日 都合により
新選組の墓への参詣は出来ません」
とのこと。真に残念です。
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