本居宣長は18世紀最大の古典研究家で、
平田篤胤、荷田春満、賀茂真淵と共に、
国学の四大人と称される人物。
生涯の殆どを庶民学者として過ごし、
その研究や思想に共感する者が増え、
伊勢や尾張を中心に門人を増やし、
その名声は最終的に全国に及びました。
宣長は晩年に遺言書を作成し、
山室山を墓所として定めました。
翌年の享和元年(1801)に宣長は死去し、
遺言どおり山室山に埋葬されています。
「国指定史跡 本居宣長奥墓」。
本居宣長の埋葬地。
宣長の墓はここの奥墓の他にも、
本居家の菩提寺樹敬寺にあります。
写真中央が奥墓へ石段で、
右側の石段を登ると植松有信翁碑や、
牧戸正平歌碑、十三重塔があります。
※植松は宣長の名古屋の門人で、
牧戸正平という人物は不明。
昭和期の人物のようです。
「本居宣長之奥墓」。
奥墓周辺は幾度か改変されていた為、
没後二百年を記念して当初の姿に復元。
平成13年に当時の姿を取り戻しています。
脇に小さな碑があったのですがスルー。
後で調べると平田篤胤の歌碑でした。
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