三原屋事件は長州藩が攘夷を決行した際、
詰問で下関へ来た幕使中根市之丞一行を、
小郡宿本陣三原屋等で殺害した事件。
朝陽丸が拿捕された事件と合わせて、
朝陽丸事件とも呼ばれます。
三原屋は小郡宿の本陣でしたが、
そこに中根市之丞一行が宿泊したのは、
将軍の親書を直接藩主毛利慶親に渡す為。
それ故に大名級の待遇で迎えられました。
しかし既に朝陽丸は奇兵隊に拿捕され、
一緒に乗ってきた小倉藩士二人は殺害。
中根側も将軍の親書と嘘を言っており、
※実際は老中の泰書。
身の危険を感じずにはおれない状況。
もちろん親書の嘘はバレてしまいます。
藩政府は将軍であろうが老中であろうが、
幕府の使節であることには変わりないので、
老中泰書にも誠意を持って返答します。
しかしながら老中のものですので、
藩主自らが受け取る事はせず、
郡奉行が受け取りました。
朝陽丸の拿捕も過激派が勝手にやった事で、
世子が出向いて説得に動いています。
藩は体よく幕使を帰す予定だったようで、
犯行は過激派の独断によるものでした。
過激派は幕府が小倉藩とグルになって、
攘夷を妨害しようと企んだと怒ります。
それは実際にそうなのですが、
使者を殺して軍艦を拿捕する行為は、
蛮行であることに間違いありません。
過激派は暗殺者を三原屋に送り込み、
小目付鈴木八五郎と従者長谷川勇助、
須原栄の三名を殺害。
鈴木の首は中根に間違われて、
斬奸状と共に路傍にさらされました。
中根は偶然にも厠に立っており、
襲撃の難を逃れていますが、
身の危険を感じて朝陽丸の返還を諦め、
別の船で帰路につくことを決意。
その船上まで暗殺者は追いかけてきて、
中根と残りの一行を惨殺してしまいます。
「三原屋本陣跡」。
本陣三原屋のあった場所は、
現在の西中国信用金庫小郡支店。
西中国信用金庫小郡支店の脇には、
三原屋本陣跡説明板が設置されていました。
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