山口県山口市 三原屋事件史跡①/三原屋本陣跡

①//

三原屋事件長州藩攘夷を決行した際、
詰問で下関へ来た幕使中根市之丞一行を、
小郡宿本陣三原屋等で殺害した事件。
朝陽丸が拿捕された事件と合わせて、
朝陽丸事件とも呼ばれます。

三原屋は小郡宿の本陣でしたが、
そこに中根市之丞一行が宿泊したのは、
将軍の親書を直接藩主毛利慶親に渡す為。
それ故に大名級の待遇で迎えられました。
しかし既に朝陽丸は奇兵隊に拿捕され、
一緒に乗ってきた小倉藩士二人は殺害。
中根側も将軍の親書と嘘を言っており、
※実際は老中の泰書
身の危険を感じずにはおれない状況。
もちろん親書の嘘はバレてしまいます。

藩政府は将軍であろうが老中であろうが、
幕府の使節であることには変わりないので、
老中泰書にも誠意を持って返答します。
しかしながら老中のものですので、
藩主自らが受け取る事はせず、
郡奉行が受け取りました。
朝陽丸の拿捕も過激派が勝手にやった事で、
世子が出向いて説得に動いています。

藩は体よく幕使を帰す予定だったようで、
犯行は過激派の独断によるものでした。
過激派は幕府が小倉藩とグルになって、
攘夷を妨害しようと企んだと怒ります。
それは実際にそうなのですが、
使者を殺して軍艦を拿捕する行為は、
蛮行であることに間違いありません。

過激派は暗殺者を三原屋に送り込み、
小目付鈴木八五郎と従者長谷川勇助
須原栄の三名を殺害。
鈴木の首は中根に間違われて、
斬奸状と共に路傍にさらされました。
中根は偶然にも厠に立っており、
襲撃の難を逃れていますが、
身の危険を感じて朝陽丸の返還を諦め、
別の船で帰路につくことを決意。
その船上まで暗殺者は追いかけてきて、
中根と残りの一行を惨殺してしまいます。


三原屋本陣跡」。
本陣三原屋のあった場所は、
現在の西中国信用金庫小郡支店


西中国信用金庫小郡支店の脇には、
三原屋本陣跡説明板が設置されていました。

①//

■関連記事■
襲ったのは外国船だけではなかった①
 奇兵隊は朝陽丸を拿捕。
山口県山口市 小郡宿跡
 西国街道の宿場町。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です