防府市 三原屋事件史跡③/中根市之丞墓

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念願(?)の中根市之丞墓に行ってみました。
知らない人の為に説明しますと、
ここは満潮時には行けない場所にあります。


防府市田島周辺。
わざわざ防府市まで足を運んで、
潮が満ちてたどり着けませんでしたでは、
なんとも馬鹿らしい事ですので、
なかなか行く機会がありませんでしたが、
偶然にも引き潮だと判ったので、
行ってみたという次第です。


中根の墓に行く為には、
防府マリーナ内を通る必要があります。
私有地なので、
墓を参りたいので通らせて下さい」と、
事務所に挨拶してOKを頂きました。


船がたくさん置いてある場所を抜け、
大きな堤防を越えると、
巨大なテトラポットの向こうに岩場が。
その先に墓があります。


巨大テトラポットを降りるだけで一苦労。
人の背丈くらいあります・・・。


岩場を進むと見えてきました。
なんでこんなところに建てたんだろ・・・。


中根市之丞墓」。
やっとたどり着きました。
中根は三原屋で従者達が惨殺された際、
たまたまに行っており難を逃れています。
下関では朝陽丸奇兵隊に占拠されており、
返還されなければ帰らないつもりでしたが、
身の危険を感じた為に背に腹は代えられず、
別の船で江戸へ帰ろうとします。
しかし執拗に中根を狙う暗殺者達は、
小舟で中根の乗る船を追いかけて、
中根を惨殺し死体を捨ててしまいました。

大正時代三原屋殉難士の墓と共に、
ここに墓が建てられましたが、
中根の亡骸は海にあるということで、
この場所が選ばれたという事でしょうか?

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