岸静江国治は大村益次郎率いる長州軍に対し、
扇原関所で惟一人で立ちはだかった勇士。
津和野藩との藩境でを守護した岸静江は、
圧倒的兵力で迫る長州軍に対し、
部下を逃がした後で一人で関門を死守します。
そして長州軍の銃撃に倒れました。
この岸の無謀ともいえる行動が、
部下の命と浜田藩の名誉を守り、
敵の長州軍からも称えられ後世に名を残し、
益田市や浜田市では神楽の演目にもなり、
遺品なども大切に保管されています。
墓所は扇原関所跡の近くにあるのですが、
もうひとつ浜田市の観音寺にもあります。
「観音寺」。
境内に竜神を祀るお堂があり、
アシカ食害に悩む漁民達に信仰されました。
「岸静全功居士」。
山門を入って右手にある岸の墓。
益田市にあるものが遺骨墓で、
こちらは遺族の建てた慰霊墓のようです。
岸静江の墓の右手には大きな墓が。
「小篠東海の墓」。
小篠東海は江戸中期の国学者で、
国学の大家本居宣長の弟子だった人物。
松井松平家時代は国学が盛んでしたが、
同家の棚倉藩転封により失速しています。
しかし国学は庶民にも普及していたようで、
越智松平家になってからも続いていました。
小篠はその礎を築いた人物です。
岸静江との関係は不明。
「旧浜田藩家中家族合同墓」。
石州戦争後に飛地鶴田に移った浜田藩ですが、
藩士家族の去って無縁墓が増えました。
その藩士家の墓石が集められ、
合同墓として整備されています。
ちなみに石州戦争での浜田藩戦死者は、
岸静江をあわせて14名。
山本半弥 永井金三郎 川島倉治 那波民江
近沢瀧之進 笹瀬豊次郎 力石金司
西川亀太郎 大村善八郎 小林久太郎
関屋鉦一郎 片岡弾正 永井佐太夫
彼等も岸静江と同じく勇士だったのでしょう。
■関連記事■
・島根県浜田市 浜田城跡
浜田藩越智松平家の居城。
・島根県益田市 扇原関所跡
岸静江の墓と扇原関所跡。
・島根県益田市 万福寺/医光寺
石州戦争の激戦地。
今回は 遠方からと他に調べる所があり お訪ねを断念致しましたが
浜田城趾を後にする時 夏草や兵どもの夢の跡。
来年は 浜田市を再度お訪ねし お参りをさせて戴きたいと思います。
S様の 後世での お働きにも 感謝申し上げます。
無縁佛になられた方々の御冥福をお祈りします。
コメントありがとうございます。
実名(?)でのご投稿でしたので、
イニシャルに直しておりますが、
勘違いされてのご投稿と思われます。