現在の順天堂大学の学祖であり、
佐倉順天堂創始者でもある佐藤泰然。
彼の墓所である宗圓寺へ。
「宗圓寺」。
宗圓寺は松本藩堀田宗家初代堀田正盛が、
実弟脇坂安利の菩提を弔う為に創建した寺。
正盛が佐倉へ転封された際に、
同じく佐倉に移転しました。
※安利は飯田藩脇坂家に養嫡子でしたが、
家督を相続する前に早世しています。
「贈従五位笠翁佐藤先生招魂之碑」。
本堂向かって左手にある佐藤尚中の招魂碑。
尚中は佐藤泰然の和田塾に入門し、
泰然の養嗣子となっています。
松本良順、林董ら実子がいたにも関わらず、
泰然は尚中を養嫡子に迎えており、
尚中は佐倉順天堂をさらに発展させ、
佐倉藩藩医として佐倉養生所を開設。
維新後は招かれて大学東校の教授に就任し、
さらに明治天皇の大典医にもなっています。
後に順天堂病院を開いて初代院長となり、
現在の順天堂大学の基礎を作りました。
「佐藤家墓所(史跡佐藤泰然の墓)」。
本堂裏にある佐藤家の墓所。
「従五位佐藤舜海之墓」。
佐藤尚中の墓。
舜海は尚中の名で尚中は号です。
尚中については前記していますので省略。
「贈従四位佐藤泰然之墓」。
墓所の奥側にある佐藤泰然の墓。
天保義民事件に関わった佐藤藤佐の子で、
※藤佐は三方領知替えを阻止する為に、
庄内義民の直訴に教唆した。
蘭医学を志して足立長雋や高野長英に師事。
両国に蘭医学を教える和田塾を開きました。
※当時は母方の姓和田を名乗っている。
堀田正睦の招きに応じて佐倉に移住し、
病院兼蘭医学塾[佐倉順天堂]を開設。
佐倉は泰然には無縁の地で、
そこに身内がいたわけでもありませんが、
何故佐倉行きを決めたのかは不明。
蛮社の獄や攘夷論などの影響により、
蘭学者が江戸が住み辛くなったとも?
それなら関係が深い庄内藩でも良いので、
正睦の庇護を期待したのかもしれません。
※庄内に順天堂が出来たら面白いですね。
とにかく佐倉に佐倉順天堂を開設し、
佐倉を蘭医術の最高峰とした功績は高く、
嘉永6年には正式に藩医となりますが、
安政6年に養子の尚中に家督を譲って隠居。
佐倉を離れて横浜に移り住み、
明治5年に死去しています。
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蘭医学の最先端であった佐倉順天堂跡。
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佐倉藩堀田家の居城跡。
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大坂の蘭学塾適塾主宰緒方洪庵の墓。