今治藩久松松平家は松平定房の系譜で、
松平定勝の五男であった定房は、
伊勢国長島に7000石を領していましたが、
兄の松平定行が伊予松山藩に転封された際、
同時に今治藩3万石に加増転封となり、
以降は廃藩置県まで今治を治めました。
定房は隠居後は今治で過ごしていましたが、
延宝4年(1676)に死去し、
領内の古国分山に葬られています。
「今治藩主之墓」。
古国分山山頂を整備して墓所としたもので、
初代定房の他、3代松平定陳、
4代松平定基の墓あります。
他の藩主は東京都江東区の霊巌寺に葬られ、
領内に墓所はありません。
「實相院殿前拾遺補闕憲譽安心大居士」。
中央にある初代今治藩主松平定房の墓。
定房の葬儀は城下寺町の松源院で行われ、
国許菩提寺も松源院に指定されました。
松源院には歴代藩主の位牌が置かれた他、
藩主庶子や側室の墓所にもなっていますが、
明治2年に廃寺になっています。
「本智院殿前駿州剌史
躰譽性安實恵大居士」。
向かって左側にある3代藩主松平定陳の墓。
定陳は2代藩主松平定時の次男でしたが、
兄松平定直が宗家の養嫡子となった為、
今治藩の継嗣となりました。
塩や白木綿、甘藷等の生産を奨励した他、
教養人としても優れていたようで、
詩や絵画も嗜んだという。
「本國院殿従五位下前采女令
天譽相覺實仙大居士」。
向かって右側の4代藩主松平定基の墓。
治世には干ばつ、洪水、火災など、
多くの災害が起こっており、
今治藩の財政が困窮していた為、
収入安定を図ろうと治水対策を行い、
総社川の瀬掘りを領民に行わせています。
前記したように今治領内には、
この3人以外の藩主の墓はありません。
菩提寺の松源院も廃寺となっており、
藩主に関するものは城とこの墓所のみです。
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今治藩久松松平家の居城跡。
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同族の伊予松山藩久松松平家の墓所。