鳴子温泉は仙台藩と新庄藩の藩境に位置し、
平安時代初期に起きた鳥屋ヶ森山の噴火で、
温泉が湧出しだしたのが始まりとされ、
近隣には別の4つの温泉街があり、
鳴子温泉を含めて鳴子温泉郷と総称し、
源泉数370以上を誇る一大温泉地です。
大変に歴史のある温泉地であり、
源義経と郷御前の子の産湯にも使われた他、
江戸時代には仙台藩の関所が置かれ、
松尾芭蕉が関所で執拗に尋問されたという。
辺りは硫黄の香りが漂っており、
温泉地らしい雰囲気を漂わせています。
「鳴子峡」。
大谷川の浸食が落差100mの断崖を作り、
典型的なV字渓谷となっています。
紅葉の名所として知られており、
季節には素晴らしい景色を魅せるという。
「潟沼」。
鳴子温泉にあるカルデラ湖。
世界的にも強い酸性の湖水とのこと。
当然魚は全く生息できないのですが、
それゆえ澄んで美しい湖面となっています。
調べると天候や時期によって色が変化し、
エメラルドや白濁にもなるらしい。
「鳴子温泉神社」。
噴火によって熱湯を噴出した事により、
朝廷はこの地に一社を建てる事を命じ、
温泉神社として祀ったのが由緒。
「古湯 滝の湯」。
鳴子温泉神社の御神湯をかけ流す公衆浴場。
千年の歴史を持つ古湯です。
入浴料は200円とリーズナブルですが、
洗い場など何もない板張りの浴槽に、
白濁の湯が滝のように流れているだけ。
宿泊した旅館の温泉で体を洗って、
ここに入りに来るのが良いでしょう。
さて本題。
「尿前の関跡」。
尿前(シトマエ)という不思議な名称は、
源義経と郷御前の子が、
初めて尿をした事が由来という。
また別の説では郷御前本人が、
難路と体調不良により、
失禁してしまった場所ともされます。
ここに仙台藩の関所が置かれ、
岩出山伊達家から横目役人が派遣され、
厳重なる検問が行われていました。
俳聖松尾芭蕉もこの関にたどり着き、
通行手形が無かったので隠密と誤解され、
執拗に尋問を受けるハメになったようで、
その旨が「奥の細道」に記されています。
奥羽鎮撫総督府の横暴に対し、
仙台藩の怒りは世良修蔵暗殺で頂点を迎え、
反新政府への道を進む事になるのですが、
当時仙台藩領に潜入していた薩摩藩士らは、
この不穏な動きを察知した為、
藩領を離れようと尿前の関を越えています。
しかし仙台藩側はこの情報を察知しており、
剣に覚えのある藩士らが待ち伏せて、
尿前の関を越えた山中で惨殺しました。
その殺された薩摩藩士らの墓へ。
「内山伊右衛門綱次
西田十太郎
僕 太郎 墓(右)」、
「錦江軒薩十震劍居士
錦江院殿薩綱盡忠忠劍居士
錦江庵薩郎念劍信士(左)」。
双方共に殺された3人の墓。
内山伊右衛門は薬丸示現流の達人で、
薩摩琵琶の名手でもあったという。
薩英戦争では艦に西瓜売りに扮して近付き、
乗船して斬り込む作戦にも参加しており、
鳥羽伏見では遊撃隊隊長に任命されました。
その後に東北諸藩の動向を探る密命を受け、
商人に扮して従者2人と共に仙台領へ入り、
何かの情報を持って新庄領へ向かう途中、
鳴子温泉に一泊した後に尿前の関を越え、
待ち伏せしていた額兵隊士5人に襲撃され、
3人共惨殺されました。
西田十太郎は内山の部下で、
僕の太郎は夫卒であったと思われます。
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