瑞雲院に戸沢家の歴代墓所がありますが、
2代戸沢正誠の墓は桂嶽寺にあります。
「桂嶽寺」。
元々万年寺という太田にあった寺でしたが、
幼くして亡くなった息子戸沢政武を弔う為、
万年寺を新庄城から見える西山に移し、
政武の法名桂嶽寺殿にちなんで、
寺名を桂嶽寺に改称させたとのこと。
墓所は本堂の裏手にあります。
苔むした参道は緑の絨毯の様でした。
「桂嶽寺殿天質慈香大禪定門神位」。
正誠の息子戸沢政武の墓。
僅か9歳で死去した我が子の菩提を弔う為、
桂嶽寺は現在地に移転したわけですが、
それだけなら他の大名もやっています。
正誠は幼い政武の書いた絵を生涯持ち続け、
死後は棺に入れさせたという。
それだけこの子を愛していたようです。
「御霊屋」。
2代藩主戸沢正誠の御霊屋。
正誠の60余年の治世は歴代で最も長く、
税制改革、領内検地、銅山開発、新田開発、
寺社の建立、城下町整備、家臣登用等、
様々な改革を安定的に行っています。
江戸時代以前の歴史上の人物からは、
それほど幼児に対する愛は感じられません。
もちろん幼児の死亡率も高いのですが、
成長した息子の死を嘆いた方が多い。
幼くして亡くなった我が子を生涯思い続け、
自らの墓所も近く建てさせていますが、
子を持つ親として気持ちはわかります。
正誠は男色家や美童好きともされますが、
それはそれとしても死後の行動を鑑みると、
斜め目線で見るのは心無いと思われ、
純粋な親の愛であったように感じられます。
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