常林寺は港区三田にある曹洞宗の寺院。
徳川家康の叔父水野忠重の開基で、
梅巌禅師が開山して八丁堀に創建され、
寛永12年(1635)に現在地に移転しました。
「山門」。
額は志那の禅僧心越の書。
江戸期は寺勢が大いに隆盛したという。
前庭の美しいお寺でしたが、
なかなか良い撮影場所が見つからず、
門の外よりの写真が一番でした。
※撮影者の能力不足です。
「祖真院智算量空居士」。
新庄藩の和算家安島直円の墓。
父安島庄右衛門は部屋住みの立場でしたが、
才能を認められて別家を興し、
藩邸の会計責任者を務めていました。
直円は和算家入江広忠の入江塾に入門し、
更に関流家元山路主住に暦術と和算を学び、
父の死後に家督を相続。
吟味役兼金元方、御勘定頭、郡奉行等、
藩の金銭的なポストを務め、
職務の傍らで三斜三円術、四円六斜術等、
直線と円と接触関係図面の研究を行い、
その解法を欧米に先駆けて発見しました。
本堂裏手に戸沢家と水野家の墓があります。
「戸澤家累代墓」。
新庄藩戸沢家の累代墓。
戸沢家は鎌倉時代以来の名門で、
戦国時代に戸沢盛安の活躍で勢力の拡大。
その子戸沢政盛が徳川幕府に成立後、
所領を常陸国松岡へ移されていましたが、
後に加増転封となって新庄藩を立藩します。
その後は江戸時代を通じて11代続き、
維新後に東京に移住しました。
江戸期には個々の墓があったようですが、
現在は累代墓として纏められています。
「水野家累代墓」。
忠重流水野宗家の累代墓。
こちらも累代で纏められていますが、
江戸期にはそれぞれの墓がありました。
忠重の子水野勝成を家祖としており、
刈谷藩、大和郡山藩、福山藩と移り、
一時無着断絶となっていますが、
勝成の孫水野勝長が復興して西谷藩を立藩。
後に結城藩に加増転封となっており、
以後は11代続いています。
戸沢家は新庄に歴代の墓所がありますが、
水野家は福山藩時代の藩主以外は、
個人の墓はありません。
※10代水野勝知の墓はあります。
東京の大名墓ではよくある話ですが、
誠に残念な限りです。
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