長府報国隊の初代軍監福原和勝は、
攘夷戦、小倉戦争、北越戦争、佐賀の乱、
西南戦争等に従軍した歴戦の軍人。
陸軍教導団司令長官心得、
初代清国公使館付武官なども歴任し、
西南戦争で別働第三旅団参謀長となり、
熊本県玉名郡立岩村で狙撃され負傷。
搬送先の久留米で死去しました。
彼の墓は南部町の専念寺にあります。
専念寺は亀山天皇皇孫尊観親王の墓所。
本尊は国指定重文の木造薬師如来立像です。
「専念寺本堂」。
本堂は空襲で焼失した後に再建されたもの。
本堂斜め後ろに納骨堂はありますが、
境内を見渡しても墓地は見当たりません。
お寺の方に聞いてみると裏山にあるとの事。
「海が見える場所に埋めてほしい」
という遺言だったそうです。
納骨堂の右側より裏手の山へ。
石垣を見ると墓石が使われています。
「尊観親王墓」。
先程の石垣の上は尊観親王の墓所。
天皇家墓所ということで宮内庁の管轄地。
亀山天皇の子常盤井宮恒明親王を父に持ち、
出家して時宗の総本山清浄光寺に入ります。
摂津、出羽、甲斐、相模等を巡り、
各地の寺院の住職を務めた後、
清浄光寺の12代上人となり、
時宗中興の祖となりました。
どういう経緯で下関に来たのか不明ですが、
享年52歳でここに眠っています。
福原和勝の墓所はまだ上の方。
お寺の方曰く[家の庭]とのことですが、
いまいちピンと来ないまま登ってみる。
「故陸軍大佐従五位福原和勝君之墓」。
登りついた先にありました。
たしかに家の庭・・というより玄関先です。
とはいえどうも空き家の様。
表札からしても血縁でもなさそうですし、
どうしてこんな事になったのか?
玄関を出てすぐ墓って凄いですね。
遺言の[海の見える場所]のとおり、
当時は見晴らしがかなり良かったようで、
関門海峡が望めたらしい。
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