若くから羽柴秀吉に仕えた平野長泰は、
賤ヶ岳の戦いで功名を挙げ、
[賤ヶ岳の七本槍]と称えらました。
この功績で3000石の知行を与えられ、
その後の小牧長久手の戦いでも奮闘し、
5000石に加増されています。
その後は目立った功績は挙げていませんが、
関ケ原の戦いで東軍に属して所領を安堵。
そのまま旗本として続きました。
長泰の長男平野長勝が家督を相続し、
田原本に陣屋を構えて町割の整備。
力を持つ浄土真宗の教行寺を移転させ、
跡地に本覚院を移転させて本誓寺に改称し、
平野家の菩提寺としています。
「本誓寺」。
花園天皇勅願所の本覚院として創建。
本尊は鎌倉時代後期の阿弥陀如来立像。
本堂は昭和58年に再建されたもので、
鉄筋コンクリート製のものです。
「本覚院廟(右)」、
「広徳院廟(左)」。
本誓寺墓地にある2棟の霊屋。
本覚院廟が2代平野長勝の霊屋で、
広徳院廟は9代平野長發の霊屋。
はじめは霊屋はありませんでしたが、
本覚院廟は長勝の50回忌に、
広徳院廟は長發の3回忌に建てられました。
霊屋の中は覗く事ができます。
「本覺院殿眞譽梅遍玄清居士 霊位」。
2代領主平野長勝の墓。
領内を整備して田原本の基礎を造った領主。
残念ながら長勝の代で血脈は途絶えました。
「廣徳院殿原譽雄鏡長發大居士 霊位」。
9代領主平野長發の墓。
長發は書に優れていたとされ、
大和参筆と称されています。
この2人の領主は田原本で死去した為、
本誓寺に葬られていますが、
他の領主は泉岳寺に葬られたという。
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・奈良県磯城郡 田原本陣屋跡
田原本藩平野家の陣屋跡。
・東京都港区 泉岳寺
一般の墓所には入れません。