第22回 「篤太夫、パリへ」
篤太夫はパリへ。
ちょっと清潔すぎる気もしますが、
なかなか良い感じにパリの雰囲気が出ています。
凱旋門に登ってパリの街並みに驚き、
万博会場で蒸気機関やエレベーターに驚き、
篤太夫は西洋の技術に度肝を抜かれました。
※実は当時はパリより江戸の人口の方か、
多かったようです。
万博には日本のブースの他、
琉球のブースも別に造られており、
これに対して薩摩藩に抗議し、
話合いの結果、日本からの出品は、
すべて日の丸の旗の下に置き、
幕府の品には「大君グーヴェルヌマン」、
琉球には「薩摩太守グーヴェルヌマン」と、
表記する事に決定しますが、
この事によって日本は連邦国であり、
将軍は有力な一大名と新聞に記載される。
使節団の滞在費用が少なくなった為、
ホテルからアパルトマンへ移り、
民部公子(徳川昭武)もアパルトマンへ。
家賃も値切る事に成功します。
民部公子役の板垣李光人は、
「花燃ゆ」で吉田松陰の幼少期を演じましたが、
大きくなりましたね。ちょっと背は低いけど。
とても合っていると思います。
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