彦島は京から落ち延びた平家の最後の砦。
平清盛の子である中納言平知盛が、
清盛の遺骨をこの彦島に納骨しています。
それが今回ご紹介する「清盛塚」。
清盛塚は小高い丘陵にあり、
民家の路地を抜けて山道に入ります。
竹やぶの道を進みます。
これが清盛の墓石。
長年無銘のまま放置されていましたが、
昭和4年に清盛塚と刻まれたそうです。
何故この石が清盛の墓ってわかったのかな?
この下に遺骨があるのでしょうか?
神戸や京都にも清盛の墓がありますが、
ここに清盛の遺骨があるとすれば、
分骨されたものでしょう。
清盛塚から福浦湾を望みます。
福浦湾は平家の船が出陣した場所。
当時は建物もなく湾が見渡せて、
要塞としてはもってこいの場所でした。
恒例となりつつあるみよちゃんです。
気付いたら蚊がおでこに3匹!
赤ちゃんの血は美味しいんですかね。
清盛の墓は平家が滅亡した後、
手を合わせる人もいないまま、
長年放置されてたのだとされています。
祇園精舎の鐘の声
諸行無情の響きあり・・・。
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平家が滅亡した壇之浦。