岩木山神社は津軽国一宮。
創建には諸説あるようですが、
岩木山大神の加護によって、
坂上田村麻呂が東征が完遂したとされ、
これに感謝して岩木山山頂に建立。
後に十腰内に下居宮が建立されて、
岩木山山頂の社殿は奥宮となります。
その後に神託で現在地に遷座されたようで、
歴代領主から庇護を受けており、
江戸時代には弘前藩の総鎮守とされ、
弘前藩津軽家が社殿の造営や境内整備、
そして社領の寄進を行ないました。
「一之鳥居」。
巨大な白い鳥居から望む岩木山が美しく、
一直線に伸びる参道先の朱赤が映えます。
参道を進んで楼門へ。
「楼門」。
2代藩主津軽信枚によって建立された楼門。
当時は神仏混合して百沢寺と称し、
岩木山三所大権現として崇敬されており、
五百羅漢像等の仏像が安置されたようです。
「拝殿」。
3代藩主津軽信義によって再建された拝殿。
当時は百沢寺本堂とされており、
この為に密教系寺院の様式が残っています。
その後ろに本殿が配置されていますが、
これは4代藩主津軽信政による造営で、
元から岩木山神社の社殿とされました。
信政は神道に帰依していたようで、
この事も関係すると思われます。
天正17年(1586)に岩木山が噴火し、
百沢寺の殆どの社殿や社宝、
記録などが焼失。
一時は荒廃していましたが、
後に初代藩主津軽為信が再建を開始し、
以降の藩主がこれに続いたようです。
百沢寺は弘前城の西に位置していた為、
弘前藩から西を司る白虎が宿る霊地とされ、
社殿に白虎の彫刻が施されていました。
「社務所」。
江戸時代末期の建築とされており、
藩主の参詣を想定して造られたもので、
現在は社務所となっているようですが、
社務所にするには勿体ない気もします。
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