弘前藩4代津軽信政は吉川惟足に師事し、
※吉川惟足は吉川神道創始者。
春日四神を祀る社殿建設を計画しますが、
※春日四神は、武甕槌命、伊波比主神、
天児屋根命、比売神。
その志半ばで死去してしまいます。
社殿建設は5代津軽信寿に引き継がれ、
信寿は信政を遺言に従い境内地に神葬し、
社殿の背後に霊廟を建立しました。
「高照神社」。
元々春日四神を祀る小祠があったようで、
津軽家は南部家からの独立に際し、
南部家(源氏)からの完全な脱却を画策。
朝廷に藤原氏の名乗り事を許された為、
藤原氏の氏神春日神を祀る事が必要になり、
神社の再建の流れとなったようです。
信寿は信政の霊廟建立後に社殿群を建立し、
次いで7代津軽信寧が拝殿を造り替え、
9代津軽寧親が随神門と廟所門を、
建設しています。
「拝殿」。
奥に幣殿、東軒廊、中門、西軒廊、
そして本殿へと続き、
丹塗で統一された社殿となっています。
吉川神道に基づいた独特な社殿構成であり、
全国的に殆ど類例がないとのこと。
「馬場跡」。
10代藩主津軽信順が構築したもので、
神馬奉納の神事が行われていたようです。
廃藩後は使用される事がなくなり、
雑木が繁茂していましたが、
馬場の形態が良好に残っていた為、
弘前市が発掘して復元整備しました。
僕は整備された馬場を見るのは初めて。
社殿の裏手を進む。
「津軽信政霊廟」。
瑞垣と木柵、廟所門で囲われた霊廟。
内部は殆ど見えませんが、
門の奥には拝殿があってその後ろが御霊屋。
弘前藩の藩主墓所は全て訪問しましたが、
初代津軽為信とこの4代信政は霊屋の中で、
他の藩主は長勝寺で非公開。
結局はどれもちゃんと見れていません。
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