東海寺は北品川にある臨済宗の寺院。
3代将軍徳川家光によって創建され、
沢庵宗彭を招聘して開山されました。
元禄7年(1694)の品川宿の火災で延焼し、
諸堂は全焼していますが、
5代将軍徳川綱吉によって再建され、
幕府による保護を受けて隆盛。
5万坪近い寺域を有していましたが、
明治維新後に衰退して廃寺となり、
旧塔頭玄性院がこれを引き継いで、
東海寺を名乗って現在に至っています。
「東海寺」。
江戸期の東海寺は広大な寺域でしたが、
その寺域内にあった玄性院の敷地が、
現在の東海寺の敷地となりました。
この東海寺に篠山藩青山家墓所があります。
「青山家墓(中央)」、
「見龍院殿従四位下侍従
前野州太守雲岫宗興大居士(右後)」、
「龍徳院殿陸軍歩兵中尉
正五位〇子爵〇峰義〇大居士(左後)」。
篠山藩青山家の合葬墓、
4代藩主青山忠祐の墓、
青山子爵家初代当主青山忠誠の墓。
篠山藩青山家は青山氏の宗家筋にあたり、
徳川家康の父松平広忠の頃より主従し、
最古参の譜代家臣であったようです。
戦国時代の青山忠門は武田家との戦いで、
戦死したとされており、
子の青山忠成は徳川秀忠の側近を務め、
関ヶ原の戦いの後に大名に昇進。
しかし次代青山忠俊が改易となってしまい、
後に子の青山宗俊と青山宗祐が旗本となり、
宗俊が後に大名に返り咲きます。
※宗祐家は無着断絶。
小諸藩、浜松藩、丹波亀山藩と移り、
篠山藩に転封された後に定着し、
6代続いて廃藩置県を迎えました。
合葬墓は丹波亀山藩初代青木忠重以降、
丹波亀山藩初代~3代、
篠山藩初代~6代藩主及び、
正室、子女等一族が合葬されています。
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