紀州藩は明治元年より軍制改革を行い、
軍務局を新設しています。
最新式のドライゼ銃を導入し、
プロセイン式の軍事教官を招集。
これに応じて来日したお雇い外国人が、
カール・ケッペンでした。
ケッペンは明治2年に来日し、
塩路嘉一郎、岸彦九郎、岡本兵四郎、
長屋喜弥太、阿部林吉、北畠道龍を指導。
後に軍務局は廃止されて兵学寮となり、
ドイツ人教官も増員されています。
このプロイセン式訓練は関心を集め、
西郷従道、山田顕義、村田新八らや、
駐日米公使デロング、駐日英公使パークス、
駐日普代理公使ブラントらが訓練を視察。
紀州藩の軍制改革は大成功しました。
「カールケッペン寓居之跡」。
ケッペンが在住していた寓居の跡。
和大教育学部付属小中学校の駐車場隅に、
その跡碑が建てられています。
紀州藩の軍制改革は廃藩置県により、
突然終わりを迎えました。
ケッペンは廃藩置県前に日本を離れ、
帰国して人材を集めていましたが、
再来日して他の教官と共に解雇となり、
違約金が払われたようです。
その後に故郷に帰国していますが、
日本で稼いだ金は浪費してしまい、
一時は貧困に喘いでいたという。
後に路面電車の会社に勤務したようで、
普通の暮らしに戻りました。
ケッペンは軍事訓練と共に、
弾薬、軍服、軍靴の製造を導入しており、
軍服で使用したフランネル生地や、
軍靴で使った牛革が地場産業となり、
現在でもこれらの産業が続いています。
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