幕末の資料として名高い小梅日記。
幕末の有名事件の他、日常の事が書かれ、
当時の暮らしを知れる貴重資料です。
この小梅日記を書いた川合小梅の墓が、
妙宣寺にあるとのこと。
「妙宣寺」。
妙宣寺は法華宗真門流の寺院で、
妙淳法尼という尼僧が開いた妙見堂を、
檀家や信者の協力で妙宣寺としたという。
河合家もこの妙宣寺の檀家だったようで、
小梅日記にも記載されています。
「春川先生墓(右)」、
「梅所川合先生墓(中央)」、
「川合小梅墓(左)」。
藩校学習館都講川合春川、川合梅所、
そして川合小梅の墓。
春川は美濃国高須の儒者でしたが、
10代藩主徳川治宝に迎えられて、
藩校学習館の都講となっています。
息子川合鼎も学習館の助教でしたが、
娘の小梅が5歳の頃に病死。
小梅は祖父春川に育てられて、
漢学や和歌を学んでおり、
野際白雪に絵を学んでいます。
梅所は川合家の婿養子となり小梅と結婚。
後に学習館の都講となっており、
小梅はその妻として側面から助け、
その傍らで人物画や花鳥画を描き、
羅浮洞仙と号しました。
日記は天保期より書かれたようですが、
その全ては現存しておらず、
嘉永2年から明治18年のものが現存。
小梅日記として刊行されています。
小梅日記については、
いつか取り上げたいと思いますが、
いつになるかは未定です。
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