和歌山県海南市 長保寺(紀州徳川家墓所)②

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つづき。

紀州藩5代藩主徳川吉宗が8代将軍となると、
支藩の西条藩より徳川宗直が迎えられ、
宗直が6代藩主となります。
※吉宗は将軍となったので当たり前ですが、
 5代吉宗の墓はありません。


六代徳川宗直の墓」。
初代徳川頼宣と同じく無縫塔型の墓石。
西条藩藩主松平頼純の五男として生まれ、
頼純は既に世子であった兄松平頼雄を廃嫡させて、
代わって宗直を世子としています。
※宗直は頼純の寵愛する側室の子。
その後、頼純の死去で西条藩主となりましたが、
吉宗が宗家を継ぐ事となり、
代わって紀州藩主となりました。
治世では享保の大飢饉が発生して大きな被害を受け、
幕府より公金2万両を拝借しています。


菩提心院」。
7代徳川宗将の墓。
無縫塔型ですが戒名の院号が刻まれています。
6代宗直の次男で父の死により家督を相続。
7年の治世で特筆できる政策はありません。


観自在院殿前黄門三品太真 尊儀」。
8代徳川重倫の墓。
宝塔型の墓石で戒名も刻まれています。
7代宗将の次男で父の死により家督を相続しますが、
素行が悪く度々江戸城登城停止を命じられ、
挙句に強制隠居させられました。
の後、54年の隠居生活を送っています。


「香嚴院」。
9代徳川治貞の墓。
宝塔型から板状に逆戻りしているようですが、
8代重倫は長寿で治貞の方が先に逝っており、
治倫の墓以降が宝塔型となったようです。
6代宗直の次男で西条藩主となっていましたが、
重倫の強制隠居によって家督を相続。
倹約令などの藩政改革を行い、
紀州藩に10万両の蓄えを築いたとされ、
名君とうたわれ「紀州の麒麟」と称されました。


舜恭院殿一品前亜相大光正受源恭公 尊儀」。
10代徳川治宝の墓。
強制隠居させられた8代重倫の次男で、
9代治貞の養子となって家督を継ぎます。
藩校を充実させて藩士子弟への学問を奨励し、
史書の編纂させたり、文化や芸術などを支援。
自らも茶道作陶日本画雅楽など多趣味で、
数奇の殿様」と称されました。
領内で起こった大規模一揆の責任で隠居しますが、
隠居後も藩政に多大な影響力を持っています。


顕龍院殿二品前亜相恭譲圓輝 尊儀」。
11代徳川斉順の墓。
11代将軍徳川家斉の七男として生まれ、
治宝の養子となって家督を相続。
治宝は隠居後も実権を持ち続け、
藩政にはあまり関わらなかったとされます。


憲章院殿二品前亜相至徳道光 尊儀」。
12代徳川斉彊の墓。
兄の11代斉順の死により紀州藩主となりますが、
変わらず隠居の治宝が実権を握り、
藩主就任後僅か2年で病死しています。

13代は11代斉順の次男徳川慶福
後の14代将軍徳川家茂でした。

つづく。
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