大穂の集落より1km程山手に入った場所に、
宗生寺という曹洞宗の寺院があります。
文明15年(1483)許斐城城主多賀隆忠が、
亡き父の菩提を弔う為に創建。
後に小早川家、黒田家等に庇護され隆盛し、
末寺10ヶ寺を有したという。
ここに小早川隆景の墓があります。
「山門」。
名島城の搦手門を移転したもの。
1本の化香樹の大木から造られたとされ、
名島城の現存遺構として大変貴重な門。
「本堂」。
筑前国を治めていた小早川隆景は、
宗生寺4世の桂翁栄昌禅師に帰依し、
知行100石を寄進しています。
後に初代藩主黒田長政が50石を、
2代黒田忠之も山林3600坪を寄進し、
観音堂も再建させました。
「黄梅院殿泰雲紹閑大居士」。
小早川隆景の墓。
隆景は死後に遺骨は七寺に分骨せよと遺言。
そのうちのひとつがこの宝篋印塔です。
幕末を知るうえで江戸時代及び、
戦国時代までさかのぼり、
史跡や墓所を訪問しています。
小早川隆景は吉敷毛利家に繋がる為、
その延長線上としましたが、
※吉敷毛利家の遠祖小早川秀包は、
廃嫡されて別家を興していますので、
正確には繋かってはいませんが・・。
既に訪問済みの引接寺も含め、
あと5つも墓があるとは・・。
※他の5つは三原米山寺、京都黄梅院、
山口泰雲寺、博多聖福寺、高野山かな?
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吉敷毛利家の歴代墓所。
・下関市中之町 引接寺/小早川隆景墓所
小早川隆景の分骨墓のひとつがあります。