吉敷毛利家」タグアーカイブ

山口県山口市 泰雲寺/小早川隆景墓所

泰雲寺は山口市小鯖にある曹洞宗の寺院。
応永10年(1404)に大内盛見が建立し、
※盛見は大内家11代当主。
始めは闢雲寺と称したという。
大内教弘の時代に現在地に移転し、
※教弘は大内家13代当主。
教弘の菩提寺となっています。
その後に大内家は滅びますが、
小早川隆景の菩提寺となっており、
死後にその分骨が納められました。
奥方の… 続きを読む

福岡県宗像市 宗生寺/小早川隆景墓所

大穂の集落より1km程山手に入った場所に、
宗生寺という曹洞宗の寺院があります。
文明15年(1483)許斐城城主多賀隆忠が、
亡き父の菩提を弔う為に創建。
後に小早川家黒田家等に庇護され隆盛し、
末寺10ヶ寺を有したという。

ここに小早川隆景の墓があります。… 続きを読む

下関市中之町 引接寺/小早川隆景墓所

伊藤助太夫(久三)の墓を探し、
引接寺を訪れたのは7年前。
結局は助太夫の墓はそこには無く、
空月庵跡という別の場所にありましたが、
下関市本町 空月庵跡/本陣伊藤家墓所
江戸中期の伊藤家当主の墓や、
奈良屋入江和作の墓は見つけました。
下関市中之町 引接寺/伊藤家 入江家墓所
今回は7年ぶりに訪問し、
小早川隆景の分骨墓に参ります。


本堂続きを読む

下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓

小早川元包の正室である引地君は、
豊後の戦国大名大友宗麟の末娘。
父同様に洗礼を受けたキリシタンで、
洗礼名はマセンシアであったという。
久留米城主となった小早川秀包に嫁ぎ、
秀包もその影響を受けて洗礼。
久留米城下に天主堂続きを読む

下関市豊田町 毛利元鎮墓所

一門家吉敷毛利家初代当主毛利元鎮は、
小早川秀包の嫡男に生まれますが、
秀包は関ヶ原の戦い西軍に属した為、
久留米13万石を改易されてしまいます。

秀包は元鎮らを連れて長州藩を頼り、
新たに知行地を与えられていますが、
その際に小早川姓を捨てて毛利姓に復帰。
しかし秀包はその翌年に病死してしまい、… 続きを読む

下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所

関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
小早川秀秋裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む

小早川家の復興

毛利元就の両川吉川元春小早川隆景
嫡男毛利隆元を補佐し、
中国制覇に大きく貢献しており、
一般的に三本の矢の教えで知られるように、
隆元とその次代毛利輝元を盛り立てました。

吉川元春は戦上手として知られ、
その戦跡は76戦64勝。… 続きを読む