生実藩は森川家が支配した譜代藩。
徳川秀忠の近習であった森川重俊が、
寛永4年(1627)に加増されて立藩し、
以降は転封もなく12代続いています。
藩庁である生実陣屋は、
生実城の東南の曲輪に置かれ、
その南側に城下町が築かれました。
※生実城は千葉氏の重臣原氏の城。
里見氏に対する防御を担っていた。
「生実陣屋跡」。
陣屋跡地は宅地化されており、
その面影は殆どありませんので、
写真をどう撮ればよいか迷う程。
「生実神社」。
陣屋跡東側に鎮座する神社。
創建年代は不明ですが、
生実城築城以前よりあったらしい。
城主であった原氏より崇敬され、
生実藩の歴代藩主からも敬われており、
現在も北生実の産土神となっています。
「空堀」。
境内には空堀及び土塁が残っており、
陣屋の唯一の遺構となっています。
生実藩は初代藩主森川重俊入封以降、
12代続いて廃藩置県を迎えており、
房総では数少ない転封の無かった藩。
1万石の小藩であった事もあり、
その石高は増減していません。
譜代故に歴代藩主は幕政に関わっており、
奉行や若年寄も歴任したようですが、
失政での減封や功績での加増もなく、
約240年もこの地を支配しています。
幕末の生実藩は藩主の早逝が続き、
動乱期には目立った動きはありません。
王政復古後も日和見を続けており、
鳥羽伏見の戦いで新政府軍が勝利した後、
新政府に恭順の意を示しています。
【生実藩】
藩庁:生実陣屋
藩主家:森川家
分類:1万石、譜代大名
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