円覚寺は福知山市にある曹洞宗の寺院。
慶長13年(1608)創建とされます。
「本堂」。
本堂は天保15年(1844)の再建。
本尊は如意輪観音菩薩ですが、
毘須羯摩作の文殊菩薩尊像もあり、
17年毎に開帳される秘仏とのこと。
「朽木家墓所」。
福知山藩主朽木家の墓所。
寺域北側にあります。
朽木家の歴代墓所は江戸の泉岳寺でしたが、
圓覚寺のHPによれば今は無いとのこと。
「徳壽院殿本覺桃源大居士」。
福知山藩7代藩主朽木舖綱の墓。
5代朽木玄綱の長男として生まれますが、
家臣団は一族の朽木綱貞の擁立し、
6代藩主は綱貞が就任します。
その後に綱貞は舖綱を養嫡子とし、
綱貞の隠居に伴い舖綱は家督を相続。
藩政改革を積極的に進めており、
学問を推奨しましたが、
僅か7年の治世の後に死去しました。
著書に擬独語や豪徳公詩集があります。
「従五位下朝散大夫前近江守朽木綱張墓」。
福知山藩12代藩主朽木綱張の墓。
膳所藩12代本多康禎の次男に生まれ、
11代朽木綱条の婿養子となり、
義父の死去に伴い家督を相続しました。
原井惣左衛門を中心に財政再建が行われ、
原井に才覚を買われた市川儀右衛門と共に、
領民に重税を課す悪政を敷き、
万延の強訴と呼ばれる大規模一揆が発生。
藩は一揆勢の要求を全て受け入れ、
原井と市川は切腹となっています。
幕政では奏者番を2度も務めており、
禁門の変や長州征討に出兵していますが、
慶応3年に中風で死去しました。
上記の二藩主は福知山で死去しています。
「麗香院殿露含蘭英大姉」。
13代朽木為綱正室恒姫の墓。
六浦藩7代米倉昌寿の娘で、
兄の朽木紘綱は12代綱張の養嫡子でしたが、
家督相続前に早世してしまいます。
その為に幼い綱張の子朽木為綱が嫡子となり、
紘綱の妹恒姫を娶って正室とし、
米倉家との関係を深めました。
恒姫は文久の改革による制度緩和で、
福知山領に移住したようですが、
維新後の明治3年に20歳の若さで、
福知山で死去したようです。
■関連記事■
・京都府福知山市 福知山城
福知山藩朽木家の居城跡。
・東京都港区 泉岳寺
朽木家の江戸菩提寺(非公開)。